この顔を見てピンときた人も多いはず。1970年代から10年以上にわたり、テレビに出ていた「ぺヤングソースやきそば」の“四角い顔”の男である。
演芸番組で“四角い顔”をウリにしていたところ、ちょうどぺヤングが業界初の四角い容器のカップめんを売り出すことになり、彼に白羽の矢が立った。
「落語というのは高座に上がってからお客様の心を掴むまでが大変。でも、テレビで毎日見る顔の男が出てくると、それだけで客席との距離が近づくのがありがたかった。今でもたまにお客様同士が『ほら、あれ…、やきそばだよ』なんて話しているのが聞こえることがあるんです」
CMで顔が売れたからといって、芸をおろそかにせず、何よりも寄席を大切にした。今でも寄席に行って会う確率の最も高い噺家の一人だ。
CM出演中の名前は桂小益。92年に師匠の大名跡を継ぎ、九代目桂文楽を襲名した。昭和の大名人を思い出すオールドファンは多いことだろう。
「よくアタシが総領弟子のように勘違いされるんですが、そんなことはないんです。先代の橘家円蔵や同じく先代の三升家小勝などの兄弟子がいるんです。でも入門時期にかなり開きがあるので、アタシが一番上のように思われるんでしょうね」
大名跡を継いでから、苦労もあったという。
「襲名の話をいただいてから半年悩みました。先代をご存じのお客様はどうしても比較します。ただの名人じゃない、大の付く名人と比べられるアタシの気持ちにもなってくださいよォ」
しかし、そうした苦労をしたからこそ、同じ立場の人間の気持ちもわかるというもの。この春、やはりビッグネームを継いだ「こぶ平」改め林家正蔵にも、「継いだ以上は芸を磨いて、お客様に喜ばれる噺をしていくしかない。今の正蔵の芸を認めてもらうよう、先代を意識せずに自分自身を見せていくことだね」とエールを送る。
「文楽」を継いでから、最も大きな変化は「汚い噺」をしなくなったこと。
「亡くなった柳家小さん師匠に『お前さんも大きな名前になったんだから、汚い噺はよしなよ』って。とはいえ結局はこんな顔。お上品な噺は向きません。面白くて、それでいて自分の柄に合った噺を選ぶようにはなりましたね」
顔は四角でも、落語はまろやか〜ということ。オッス!!
【かつら・ぶんらく】1938(昭和13)年東京・浅草生まれ。仕立屋の小僧時代に聞いた落語に感動し、19歳で八代目桂文楽に入門。前座名は師匠の本名である並河益義から一字をとって「小益」。59年に二つ目、73年真打。92年に九代目文楽を襲名。ゴルフの腕は噺家の中ではピカイチのシングルプレーヤー。落語協会理事。
ZAKZAK 2005/05/14