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赤塚不二夫さんの妻、眞智子さんがまさかの死
“休眠中”夫の目覚め信じ社長業と看護の日々

食道がんの会見でのフジオちゃんとマチ子さん。いつも一緒だった(平成11年4月29日)
食道がんの会見でのフジオちゃんとマチ子さん。いつも一緒だった(平成11年4月29日)
 漫画家、赤塚不二夫さん(70)の妻、眞智子さんが今月12日、くも膜下出血で亡くなった。まだ56歳だった。赤塚さんは4年前に脳内出血で倒れて以来、今も“休眠”を続けている。眞智子さんは、赤塚さんに代わって「フジオ・プロ」社長として事務所を切り盛りする一方、夜は病院に泊まり込む日々だった。そんな看護生活を支えたのは「フジオちゃんは、必ず目を覚ます」という強い一念だったという。

 事務所のスタッフは、突然のショックに、今も信じられない様子だ。「まさか、眞智子さんが死ぬとは…。みんなも、ご本人さえ思ってもいなかったと思います」。

 6月22日、眞智子さんは自宅で昼食を済ませた直後に頭痛を訴え、赤塚さんと同じ病院へ。その日のうちに、緊急手術が行われた。術後は会話ができるまでに回復していたが、その後、容体が急変、帰らぬ人となった。

 眞智子さんにとって、この4年間は休まる暇がなかった。社長業をこなす傍ら、週の半分以上は病院に泊まり込み。それでも赤塚さんの待つ病院に行く日は、手料理をこしらえ「病院勤務に行ってきま〜す!」と、張り切って出かけたという。

 慣れない社長業と出口の見えない看護の毎日。眞智子さんは、ある雑誌の切り抜き記事をお守りのように大事に持っていたという。赤塚さんと同様に、アメリカで10年近く深い眠りについた人が意識を回復した−という内容だった。

執筆中の赤塚氏(平成12年6月)
執筆中の赤塚氏(平成12年6月)
 「先生の病室を訪ねたとき、眞智子さんが『この記事、見て!』と嬉しそうに見せてくれたことがありました。赤塚先生は必ず目を覚ますと信じていたんだと思います」

 振り返るのは、少年サンデーなどで赤塚担当を40年間続けた元名物編集者、武居俊樹さんだ。

 「とにかく責任感の強い人でした。先生と結婚したのも飲んだくれの先生を見て『私が何とかしなきゃ』の思いだったから。くも膜下の手術後、一時回復した時には自分で遺言まで書いていたそうです。後のことをいろいろ心配したんでしょう、葬儀の仕方や会社のことなどが記してあったそうです」(武居さん)

 眞智子さんは、赤塚さんの2度目の妻。昭和62年の再婚当時、前妻が2人の結婚を後押ししたことでも話題になった。前妻との間に長女りえ子さん(40)がいるが2人の間に子供はいない。

 「マチ子さん」「フジオちゃん」と呼び合う仲の良い夫婦だった。

 夫人が昏睡(こんすい)状態となった今月1日、赤塚さんはスタッフの計らいにより車イスで夫人の病室を訪ね、夫人と手を重ね合わせたという。これがお別れになってしまった。

 夫人の死を聞かされた赤塚さん、応えることはなかったが「いなくなったということは何か感じとっているようだ」(関係者)。看護は、娘のりえ子さんと事務所スタッフが交代で引き継ぐ。

 眞智子夫人が看護の合間につづっていたブログは、6月26日で止まっている。緊急手術からわずか4日後、スタッフが口述で書き取った。

 《日にち、空いちゃってごめんなさい…フジオちゃんもいたICU、つきそいしてたのに、今度はわたしが入っちゃった。なんか、懐かしくてだから今、書きたいけどあんまり書けないのよ。口も達者だし、手も書けるけど、病院に怒られる。かしこい頭の病気なの じゃ、またね》

 近く親しい関係者らによるお別れ会が営まれる。

ZAKZAK 2006/07/25

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