「内山田洋とクールファイブ」のリーダーとして、「長崎は今日も雨だった」「中の島ブルース」などのヒット曲を世に送り出した内山田洋(うちやまだ・ひろし=本名・内山田道生=写真)さんが3日午前、肺がんのため横浜市内の病院で、70歳で死去した。ボーカル、前川清(58)が独立してからの晩年は、どうだったのか。
内山田さんは、胸の痛みを感じて今年4月末、横浜市内の病院で検査入院。肺がんが見つかり、闘病生活が始まった。
関係者によると、すでに、がんはかなり進行しており、担当医が、「よくこの状態で仕事をしていた」と驚いたほどだったという。だが、入院中も「今年は無理だけど、来年からは大丈夫。仕事は入れておいて」と話すなど、復帰に向けて意欲を示していたという。
集中治療室に出入りしながらの約6カ月の闘病生活の末、夫人と息子に看取られながら息をひきとった。
内山田さんは、米軍キャンプを中心にギタリストとして活動した後、1967年に地元・長崎市で「内山田洋とクールファイブ」を結成。翌年に前川清がボーカルとして参加した。69年にはデビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット。NHK紅白歌合戦にも11回出場した。
だが、87年に飄々としたキャラクターと歌唱力で人気を得た前川がグループを脱退、人気は急降下した。96年には新メンバーを加えて「再び長崎」を発表したが、往時の人気は回復できず、自然解散状態だった。
それでも、昨年10月には「ひとりで営業のステージをつとめることもある」とマスコミの取材に近況を語り、20代のバックダンサーを従えた「内山田洋とクールガールズ」を結成するなど、積極的に音楽活動を模索し、今年3月まで地方巡業していた。
来年には、内山田さん作詞作曲の楽曲「人はなぜ」の発売も控えていたというが、復帰の夢はかなわなかった。自ら作曲した厳しい“東京砂漠”がどう映っていたのか。
ZAKZAK 2006/11/06