 ポマードで固め、髪型も独特だった渡辺さん。後輩やライバルも、その死を惜しんだ |
王・長嶋を擁した巨人黄金期のプロ野球中継をはじめ、スポーツ界における数多くの“名勝負”を実況してきた渡辺謙太郎アナが、その生涯をゲームセットした。享年75歳。スポーツを演出してきた、歯切れの良い「謙太郎節」が聞かれることは、もうない。
「皆さん、心からおめでとうを言いましょう」
昭和52年9月3日、「巨人×ヤクルト」。渾身の一振りで756号ホームランを放ち、世界新記録を塗り替えた王貞治さん(66)を称え、渡辺さんは全国にそう呼び掛けた。その言葉に促され、アンチ巨人ファンでさえも、「おめでとう」の一色に染まった。
早稲田大学文学部を卒業後、ラジオ東京(現TBS)に入社。ON砲が爆発したプロ野球全盛期を実況する一方、メルボルン、東京、メキシコ、ミュンヘンと五輪4大会の実況中継を務めた。特にミュンヘン五輪では、民放を代表して開会式を実況、往時のスポーツシーンにおいて、「謙太郎節」は欠かせないBGMとなった。
「競馬中継の神様」として知られるフリーアナの杉本清さん(69)も関西テレビの駆け出しアナ時代、「謙太郎節」がラジオから流れてくれば、自然と耳を奪われた。
「少し巻き舌の独特のアナウンスや、自分なりの視点を入れた野球中継は今でも鮮明に蘇ってきます。模範にしようという次元を通り越して、雲の上の存在でしたね」
“世界の松下”ことTBSの松下賢次アナ(53)は、偉大な先輩の伝説をこう振り返る。
「ただボールを追い、それを順に伝えていくだけだったラジオ中継を変え、現在の実況の礎を築いた。豊富な知識に基づき、選手レベルの視点で球筋を予測したりする描写力は、画期的でしたね。それこそ王さんや長嶋さんと同じく、アナウンス界で不世出の天才」
松下アナは新人時代、直々に指導も受けた。野球中継では、実況とリポーターという立場も経験している。
「リポートがつまらなかったり、余計な情報が入ってたりすると、『はいはい』と一方的に切られてしまうんです。もう必死になって足で取材しましたよ。『以上、松下リポーターでした』なんて少しでも興味を持ってくれたときは、そりゃもう感激でしたね」
学生時代から野球人で、早大在学中、母校・都立小石川高校野球部の監督も引き受けていた。2年後輩で、渡辺さんの指導を仰いだ千代田区体育協会の根本昌芳会長(73)は「『みんな余生もわずかだし、野球部OB会でも開こう』なんて2人で話していたんです」と死を悼んだ。
“東の渡辺・西の植草”と並び称された元ABCの名物アナ、植草貞夫さん(74)は、ラジオで共演した「巨人×阪神応援実況対決」が思い出に残っているという。
「互いに力が入りすぎてね。あの方は滑舌が甘いんですが、気にせずに機関銃のようにしゃべった。退職後でした、『草やんがTBSに来てくれてたら…』と言うんですよ。私も東京出身なもんで。ライバルというか目標でした」
合掌。
ZAKZAK 2006/11/16