《素顔は物静かだが、ライブになると一転してハイトーンで、シャウト。とくにヘヴィーメタル全盛期は、ボディコンにミニスカートで、突っ走っていた》
ヘヴィメタが、一時期コミカルなイメージで見られていたことがありましたが、私自身はずっと誇りを持っています。
ボーカルとしては記録に挑戦するぞ! という気持ちで、気合を入れて命をかけてました。ふだんは引っ込み思案で、オーラも何もないもので(笑)。
セクシー? そんなことは全然考えていなくて、体形も気にせず、ライブの前は、体力を維持するためにモリモリ食べていましたよ。
《1988年NHKソウル五輪のテーマソング「ハート・アンド・ソウル」、翌年カネボウのCMソング「リターン・トゥ・マイセルフ」など大ヒットが続き、テレビの歌番組にも出演した》
ヘヴィーメタルが自分の中で飽和状態になって、「何かやらなきゃ」という意識が強い時期に、海外の著名なプロデューサーとの出会いに恵まれました。アルバム7枚目にして念願のLA録音が実現したんです。
《レコーディングには、TOTOやシカゴで活躍するミュージシャンなど敏腕が参加。今も付き合いが続いている》
アメリカに行ったことで音楽性が広がり、それをよしとする方々からお声がかかるようになりました。
歌番組については、「夜のヒットスタジオ」あたりは以前から少しずつ出ていたんですが、「ザ・ベストテン」に出演するのは、少し迷いましたね。ひとつに出たら他に出ないわけにいかなくなるでしょう。
最終的に出ることに決めたのは、当時ロックやニューミュージック系の方が出たがらない傾向があったからです。みんなが出ないのなら、私は出よう−と。
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ZAKZAK 2007/04/13