 芸能界から完全に引退した松山容子さんだが、ボンカレーのパッケージを飾った美貌は、今(2006年に撮影)も変わらない(クリックで拡大) |
大塚食品(大阪)が「ボンカレー」発売40周年を記念し、若き日の美人女優、松山容子さん(70)がほほ笑む初代パッケージを、100万食限定で発売する。ホーロー看板でも見慣れた和服姿は、ファンの間でオロナイン軟膏の浪花千栄子、オロナミンCの大村崑とともに「大塚三羽ガラス」といわれた。だが、松山さんは結婚を機に突然表舞台から姿を消した。あれから37年−。夕刊フジはついに、あの笑顔にたどり着いた。
【時代劇で人気】
「かつて女優をしていた人間としては、ホント幸せなことですよね」
松山さんはボンカレーでの久々の復活を素直に喜んだ。1937年、愛媛県松山市生まれ。銀行を経営する名家に生まれ、高校卒業後、NHK松山局に入局。雑誌『アサヒグラフ』の表紙モデルをきっかけに、松竹の映画女優へ転身する。
60年、テレビ時代劇『琴姫七変化』に主演し、その美貌(びぼう)と女性離れした太刀さばきが人気を博し、番組スポンサーだった縁で大塚食品の「ボンカレー」イメージキャラクターとなった。
人気絶頂の71年、劇画家の故棚下照生氏と結婚し、突如芸能界を引退。以後、一切の活動を控えてきたが、「ボンカレー」のギャラはいまだに支払われ続けている。現在は東京郊外に高齢の母親と2人で静かに暮らす。「日本のお母さん」といった穏やかな優しい口調は往時のままだ。
「40年前のまま支持してくださることは、本当にありがたいですね。やっぱり、私とボンカレーは一心同体ですから。いまでも、(現キャラクターの)松坂慶子さんのパッケージを見かけると、ついうれしくなって余計な物まで買っちゃうのよ。なければないで心配になっちゃうし…」
 「ボンカレー」初代パッケージ(クリックで拡大) |
【最初は気乗り薄】
実は、出演依頼を受けた当時は、あまり乗り気ではなかった。
「だって私、時代劇のお姫さまだったでしょ。それが、庶民的なカレーのキャラクターって…。しかも、お湯で温めるだけなんて、何だか気味悪くって。いまから思えば、ホント小生意気な娘でしたね。ホーロー看板にしても、当時の社員さんが、看板設置に難色を示す全国のお宅に理解をいただくのに、大変な苦労をしていたことを後から知りました。この仕事の大きさが、全然分かっていませんでした」
もちろん承諾後は、徹底的に「日本のお母さん」にこだわった。おなじみの髪形は深夜に京都で時代劇撮影を終えて大阪のスタジオに直行し、鬢付け油ベッタリのまま強引にセットした。
【復帰はしません】
3パターンある和服も自前で用意した。あれから40年、思いがけず全国の食卓へ舞い戻ったが、女優業の復帰やメディア出演は「絶対にない」と言い切る。
「だって、皆さんのイメージが壊れちゃうでしょ。皆さん、日本のお母さんといえば『松山容子』とおっしゃっていただきますし…。私は仕事と家庭、両方に中途半端なことをしたくなかったので、結婚後は仕事をキッパリ辞めました。これからも平々凡々、時の流れるままに人生を終えたいと思っています」
ボンカレーは、ピーク時に年間1億食を売る国民食となり、累計25億食も販売。ファミリーマートも2000年夏、“松山パッケージ”の『ボンカレーパン』を発売し、6週間で500万食を売る大ヒットとなった。
「これまでもこれからも、私が食べるカレーは『ボンカレー』だけ。限定パッケージは、近所のスーパーで“ハコ買い”するつもりよ(笑)」
ZAKZAK 2008/02/15