 深作欣二監督 |
がんのため72歳の生涯を閉じた深作欣二監督の現場での姿を追い続けた映像作家がいる。4カ月に及ぶ密着取材で前作「バトル・ロワイアル」のメーキングビデオ「映画は戦場だ」を完成させたテレビマンユニオン副社長でディレクター、浦谷年良氏(55)だ。「バトル・ロワイアルII」でも取材にとりかかり、最後の日々をビデオに収めていた浦谷氏。「サクさんは、うらやましい死に方をしたと思う」と振り返った。
入院し、一時は危篤になったという報道で「覚悟はしていた」という浦谷氏だが、昨年12月1日から始まり、深作監督が入院する前日の20日まで続いたメーキングビデオの取材では元気な姿を収めていた。
「ワイヤレスマイクをつけて監督の全ての発言を記録したが、弱音は一切出なかった。ただ、1人で動き回ってすこぶる元気な日があるかと思うと、そうではない日もあり、『体力的にロケ撮影は無理かな』と思っていた」とも話す。
16日のクランクイン、深作監督はコート姿で登場。その下にはラグビーのユニホームにラグビーボールが隠されていた。撮影が佳境に入ったころ、深作監督は突然コートを脱いでボールを投げ、周囲を驚かせたという。「監督は『映画は遊びだ。みんな一緒に遊んでくれ』と思っていた。だから率先して、現場を盛り上げようと自分を演出していた」と、あくなき映画作りへの意欲を見てとった。
だが、がんと闘う深作監督は明らかに厳しい状態にあった。「監督室に42人の生徒たちの写真が貼ってあった。『前のように覚えられますか?』と問うと、『今回は、そうはいかないよ』と。前作より明らかに集中力が落ちていた。ボルテージは上がっていたが、どこか、無理を重ねていた」という。
深作監督の入院後も復活を信じて撮影再開を心待ちにしていたが、深作監督がハンドマイクとハリセンを握ることはなかった。メーキングの撮影も休止状態になったが、「撮りたかったものはいっぱいあるが、ないものねだりになってしまう。それに前作のメーキングである程度は記録できたから」と、ライフワークのメーキング取材では悔いはないという。
「現場で燃え尽き、逝ったのは深作さんらしい。あれだけ映画が好きで、現場が好きな監督を他に私は知らない」と、巨匠の最期の現場に立ち会えたことへの思いを新たにしていた。
ZAKZAK 2003/01/15