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水沢アキ
(5/21)

 
■ みずさわ・あき
 昭和29年12月5日、東京都生まれ。山脇学園高校3年の時にドラマ「夏に来た娘」(TBS)のヒロインで女優デビュー。テレビドラマ中心に活躍する一方、NHK「連想ゲーム」の女性軍キャプテンでも人気に。その間に、日本女子体育短大舞踊専攻科を卒業。青年誌「GORO」のグラビアなどでも人気に。61年に米青年実業家のガイ・スィーヒ氏と結婚し2児をもうけるが、平成5年に離婚。

私生活でも“いじわる”に

水沢アキ
 現在、出演中の「危険な関係」(フジテレビ系、月−金曜午後1時30分)ではヒロインの高橋かおりちゃんをいじめる役。彼女は富豪に嫁ぐのですが、私はその妹。つまり小姑でいろいろいびるわけです…。

 こういう役は7年前の「聖者の行進」(TBS、野島伸司脚本)以来かしら。

 原作はフランスのラクロが上流階級の不道徳を描いた小説。舞台や映画にもたくさんなってますよね。去年はヨン様主演で日本でも公開された「スキャンダル」と同じ。

 東海テレビ制作のこの枠、ドロドロの恋愛劇で評判じゃないですか。私は、お話をいただくまでは「スゴイせりふ言ってるなあ」って見ていました。

 個性的というか、変わった役はやはり難しいですよ。

 どんなに醜いセリフを言っても、きれいでありたいと心がけているのですが、実際はただヒステリックなオバさんになってしまう。反省するばかりですが…。

 でも、こういう役、私の中ではまだまだ経験は浅い分野。だからかな、今こうして毎日やっているとだんだん自分もいじわるになっているみたい。

 実はこの前も、銀行の人を叱りつけちゃった。その上司が謝りに来るから、「あなたも気がきかない部下を持ってお幸せね」なんて。今演じている貴久恵が乗り移っちゃったみたい!

 この2年ほど、ドラマの仕事を休み、テレビ出演もトーク番組やバラエティーが中心でしたね。夕方には終わる仕事を選び、長男のジュリアン(18)と長女のフランセス(17)のために、“母親”してました。

 今回のお仕事では、はじめはカンが取り戻せず、現場でNGも出しちゃった。ドキドキして、台本も真っ白!

 若いときには3回で頭に入ったせりふが、今は50回読まないとダメって感じです。

 昔、森光子さんに「100回読みなさい」と言われた意味が、今わかりますね。

 50歳すぎて、脳の回路が変わっちゃったのかな。共演する小野寺昭さんもそうおっしゃってたけれど、見えないところで努力してらっしゃるんですよね…。




まだまだ女を磨かなきゃ

水沢アキ
 子供は2人ともインターナショナルスクールで学んでいますが、長男のジュリアン(18)が大学、米国のブラウン大学に受かったんです。

 ハーバードやエールと同じアイビーリーグの名門校ですよ。アイビーリーグに進むのは学年でも1人だけ。日本にいながら、全米50州の子たちと張り合ってがんばった。本当にうれしかった。でも私、そんなに立派な学校だって知らなくて、息子からバカにされちゃった…。

 息子は高校で聖歌隊に入ったり、バスケットボールをやったりもしていて、はっきりコレをやりたいというのがないようです。大学は教養学部を選びましたが、本人は歌を本格的に勉強したいみたい。歌でもお芝居でもいいんですが、本場で成功してくれたら…なんて思います。

 こんなこと話したら、本当に親バカね。

 6月に卒業して、8月に寮に入っちゃうから寂しくなりますが、息子には「子離れしない親だ」なんて言われます。挙句、「いい人でも見つけろよ」なんて言うんですよ、ほんとにもう…。

 これまでは2人の子が支えで、やってこれましたが、離婚してからはいろいろと簡単ではなかったですよ。私自身は、彼(前夫のガイ・スィーヒ氏)のことを否定しても、子供たちはそうではない。本当は会わせたくないけど、我慢して会わせてきた…。

 離婚っていろいろと引きずるものなんですよ。

 今、ですか? お付き合いしてる人はいないし、男性には興味ないですよ。私に魅力? ないないっ!

 子供が離れていく寂しさを、仕事で埋めていく気持ちです。

 まだまだ女を磨かなきゃいけませんね。




もう「トゲトゲしくいこうと思わない」

水沢アキ
 私、17歳でドラマデビューして、その翌年に歌も出してるんです。(山口)百恵ちゃんや浅田美代子さんと歌手としては同期。長くなるのも当然よね。

 ドラマのほかにCMが多いときには11本を数えました。NHKの連想ゲームとかも、なつかしいけれど、私にとって「すごい時代」でした。

 そんな生活してても、何か勉強したいっていう気持ちがあったから、20歳を過ぎてから短大に入ったんです。ちゃんと卒業したんですよ。

 当時の所属事務所の社長に「タレントに学歴なんていらない」って言われたけど、がんばりました。それから24歳のときに、中学生の時からすごく好きだった英語を学びに3カ月間、ロサンゼルスのUCLAに留学も。

 他人が作った線路の上で走り続けるのがいやだったのもあると思います。(脚本家の)倉本聰さんの事務所にいたこともあるし、その都度、自分で考えて行動してきたんだと思います。

 若いころは、芸能界の生存競争に勝ちたいって思ってたり、少しでもいい仕事を−と思っていました。でも、いつもスポットライトを浴びるわけじゃない。結婚、離婚を経験し、地味にやっていくことも覚えましたし、私にはなんと言っても2人の子供が宝。トゲトゲしくやっていこうとは思わないです。

 これからは、長男も(渡米して)いなくなるし、一人であちこち行きながらいろんなことができる国際人でありたいと思いますね。