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【当てちゃる券】松山最終日12R それでも吉田と宿口の直線勝負

 先日はご近所に住む仲間たちとの忘年会だった。滅多に飲まないワインを飲み過ぎて、ひどい二日酔いになった。今回は27歳の市橋司優人(福岡・S級2班・103期)が“希望斡旋(あっせん)”で初参加してくれた。62歳のO記者を筆頭に幅広い年齢が集まり、うまい焼肉を食べながらこの1年を振り返った。

 今年は大病もした。右目の視力が無くなり、網膜裂孔の緊急手術を受け、左目も先月おかしくなり、浮いている網膜をレーザーで焼き固めてもらった。平坦(へいたん)ではない年だったが、オレの現役時代の座右の銘は「曲全」。「曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し」という老子の言葉だ。

 これを教えてくれたのは亡くなるまで囲碁と酒と競輪と女を愛し、酔うと四文字禁句を絶叫した名物棋士、藤沢秀行名誉棋聖だった。正確には、紆余(うよ)曲折を経た人間こそが人生の味わいが分かるという意味らしい。

 もう一つ、秀行先生は「酒を飲むなら酩酊(めいてい)するまで飲め」と言っている。中途半端に飲むくらいなら飲むなということか。いや、何事もやるなら徹底的にやれということだろう。すべてトコトンやった秀行先生の生きざまそのものだ。

 松山ナイター今節は伊藤豊明杯。伊藤さんとは何度も連携したことがあるし、番手まくりで捨てられたこともある。同期の本田晴美はオールスター決勝で番手まくりを食らった。ゲリラと呼ばれた伊藤さん。当時の四国は層が薄く、上位レースでは常に単騎戦を強いられた。普段は温厚な先輩だったが、こと競走になると勝つことに人一倍徹していた人だったと思う。強いが淡泊すぎるレースをやる一流選手には伊藤さんの爪のあかを煎じて飲ませたい。

 松山最終日S級決勝(12R)は、吉武が渡部を連れて渾身(こんしん)の逃げを打つ。吉田が好機に巻き返し番手の宿口と直線勝負だ。〔2〕⇔〔4〕-〔1〕〔3〕〔5〕。

(元競輪選手)

■内田浩司(うちだ・こうじ)1962年8月26日生まれ。福岡県出身。83年4月に51期生としてデビューし、S級上位で活躍。2015年10月29日に引退。通算435勝、優勝34回(記念Vは92年門司記念など6回)。FI先行・吉岡稔真(としまさ=福岡県65期)元選手の兄弟子で連携は多数。実直な性格と厳しい指導から“鬼軍曹”として恐れられていた。夕刊フジ競輪面にコラム『当てちゃる券』を連載中。競輪祭では特別コラム『小倉競輪祭 なう&リメンバー』を執筆。