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仙台牛タン誕生の物語 米兵が持ち込んだ牛肉文化を「名物」に昇華させた商売人 (1/2ページ)

 むかし牡蠣・ホヤ、いま牛タン。

 仙台名物について語るならこういうことになるのだろうか。

 1980年頃までの牛タンは、仙台名物だと全国的には認識されてはいなかった。

 当時は仙台市の観光課や仙台商工会議所も「仙台には冬の牡蠣、夏のホヤというように季節ごとの味覚はあるが、四季を通して楽しめる名物がない」(『牛たん焼き物語』著・井上英子)という程度の認識で、牛タンを次世代の仙台名物に育てようというくらいの腹積もりだったという。

 その甲斐あってか、現在では押しも押されもしない名物だが、実はその歴史は意外と浅かったのだ。

 そもそも仙台に牛肉が定着したのは戦後間もなくのこと。進駐していた米兵のために牛肉が大量に仙台へと持ち込まれた。

 ところが米兵が食べるのはサーロイン、ヒレ、ロースといった正肉ばかり。

 余った内臓、テール、タンが、地元の飲食店に持ち込まれ、そのなかで「タン」に目をつけたのが「太助」の創業者、佐野啓四郎だった。佐野は試行錯誤を繰り返し、「太助」は1950年には牛タン焼きをメニューに載せた。これが「仙台牛タン」の始まりだという。

 それから30年近くが経過した頃、前出の仙台の行政などが「太助」に「牛タンを名物として広めたい」と協力を申し入れた。

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