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【竹内流 神社の神髄】学問の神様としても信仰、明治維新回天の雄・吉田松陰を祀る「松陰神社」東京・世田谷 (1/2ページ)

 松陰神社の祭神は吉田松陰。日本を変えた長州毛利藩の男である。読書家で、9歳で長州藩の藩校・明倫館で山鹿流兵学の講義をする。

 松陰は読書の知識だけでなく、フィールドワークを重視した。カピタン(オランダ商館長兼領事)にも実際に会っている。師の佐久間象山に洋学を学び、多くの蘭学の書も読んだ。

 江戸遊学では質素倹約家。梅干し・金山寺みそ・漬物。ハレの日はかつお節。外食せず金は読書と執筆の紙にあてた。

 嘉永6(1853)年ペリー来航。乗ろうと思うが失敗。海外密航の罪で「野山獄」に入牢。死罪を逃れたのは、ペリーが「他国の青年なれど勇敢である」と幕府に言ったからといわれる。

 松陰は国許蟄居の獄中で、なんと学問の講義を始めた。ある囚人が言う。「吉田さん、あんたいいことを言っているが、牢につながれているわしらになにか関係があるのか」。松陰は答えた。「私は何か物事を知って死ぬのと、知らずに死ぬのは違う! そう思います」。翌日より囚人たちは松陰の言葉を聞き取り、松陰も囚人から歌や書を学ぶ。大学のゼミのようになった。

 松陰は釈放されるも萩の生家で幽閉処分。この地で叔父の<松下村塾>を引き継ぐ。「学問さえすればどんな困難も越えることができます。信じるは<学>の力のみ!」。幽閉中の3年間で1460冊以上の本を読んだといわれる。

 「貴方には志はありますか」と弟子達によく聞いた。松陰は<誠>を尽くすことが第1義であった。自分を「狂生」「猛士」と名乗ったこともある。

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