記事詳細

【松浦達也 肉道場入門!】明治政府をアツくした養鶏 立役者は「明治最良の官僚」、榎本武揚だった (1/2ページ)

 明治時代、新産業としての養鶏への熱は高かった。明治7(1874)年、内務省で肉用鶏繁殖のための種鶏購入配布の閣議決定がなされた。明治10年に、内務卿の大久保利通が暗殺されたが、養鶏の機運が滞ることはなかった。

 その立役者となったのが、江戸幕府海軍の指揮官でもあり、明治政府でも駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結。後に文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任することになる榎本武揚だった。

 当時の民衆から「明治最良の官僚」と評価されるほど、知識と探求心の高かった榎本は日本の養鶏においても、また大きな役割を果たしていた。

 明治11年、駐露特命全権公使だった榎本武揚は、フランス製の「孵卵器及び付属育雛器」を国内に持ち帰り、ここから国産孵卵器の開発が進むことになる。

 その頃、政府が藩士救済の目的で起業公債を打ち出した。この頃から、名古屋では養鶏に従事する者が急増したという記録も残されている。

 明治中期に入っても、養鶏熱は衰え知らず。明治21年には日本家禽倶楽部が創立され、機関誌『日本家禽倶楽部雑誌』は月刊で発行されるようになった。同年には、榎本武揚を会長として日本家禽協会も設立され、下部組織として仙台や盛岡など、全国に続々と家禽協会が立ち上げられた。

zakzakの最新情報をSNSで受け取ろう

関連ニュース