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【阿部亮のつぶやき世界一周】決してドラマ化されない明治の大偉人「伊藤博文」 暗殺が忖度されてなのか?

 「彼」は1841年、長州藩の貧しい農家の長男として誕生した。

 12歳の時、父が子連れで養子になり、その養父がさらに足軽の養子となったため、足軽の身分を得る。16歳で吉田松陰の「松下村塾」に入門。身分が低いため塾外で立ち聞きしながら勉学に励み、18歳で桂小五郎の従者になり尊王攘夷運動に参加。反対派の暗殺や英国公使館焼き打ちなどで活躍する。

 22歳、長州五傑として英国に留学。英語や礼儀作法を学ぶとともに、博物館や美術館に通い、工場や海軍施設なども見学して、英国と日本の圧倒的な国力の差を痛感。開国派に転じる。

 留学して半年がたった頃、米英仏蘭4国連合艦隊による長州藩攻撃の話を聞き、急ぎ帰国。戦争回避に奔走するが下関戦争が勃発し敗戦。彼は英語力を買われ通訳として和平交渉に当たり、藩の外国応接係に任命される。

 その後長州藩は、藩内の勢力闘争~長州征伐~薩長同盟~維新へと激動を迎えるが、彼には活躍の場がなかった。それが68年に起こった外国人への銃撃事件を英語力と交渉力で解決したことをきっかけに政府入り。次第に頭角を現し、外国事務局判事、大蔵兼民部少輔、初代工部卿などを歴任した。

 そして85年、44歳の若さで初代内閣総理大臣になり、以後16年間で計4回も総理になった。その間、日本は日清・日露戦争で欧米列強のアジア植民地化と対峙(たいじ)。彼は初代韓国統監となるが、抗日運動家に暗殺される。

 彼の名は伊藤博文。享年68。これだけの大偉人なのに、暗殺が忖度(そんたく)されてなのか、その生涯はドラマ化されていない。

 ■阿部亮 北海道札幌西高等学校卒業。19歳で陸路を世界一周。ニッポン放送「阿部亮のNGO世界一周!」のメインパーソナリティ。ミャンマー、ネパール、カンボジア、ブルキナファソ(西アフリカ)に12校の学校を建設している。

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