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そうだ、東京で京都を探そう! 1000年の都が育んだ「上方文化」を探す (1/4ページ)

 明治、大正、昭和、平成そして令和。首都が移ってもう随分経っているけど、「みやこ」と言えばまだみんな京都を連想する。各地に「小京都」と呼ばれる場所があるように、1000年の都が育んだ上方文化は各地に広がり、人々の憧れや尊敬、模倣…ときには反発も集めてきた。新しく都となった街にもしっかりその名残が。令和初の新年、東京に隠された京都を探す散歩はいかが?(阿蘇望)

 ■江戸にコピペされた比叡山 上野公園

 まずは上野の不忍池(台東区上野公園)から。実は琵琶湖だというのを知っているだろうか。嘘や冗談ではない。不忍池の弁天堂は、いまは地続きになっているが、できた時は島だった。なぜかというと、琵琶湖に浮かぶ竹生島を模していたからだ。

 作ったのは江戸時代の初めに東叡山寛永寺を建立した僧侶の天海。京都の朝廷から鬼門の方角にあって都を厄災から防いでいると言われた比叡山を、江戸にも造ろうと考えたのだ。東の比叡山だから東叡山。延暦寺が創建時の年号をとっているのに倣って、寛永2(1625)年だったから寛永寺とした。

 境内には「根本中堂」や「にない堂」など、本家の比叡山にある堂塔を模した建物をたくさん建てた。ついでに琵琶湖も造った。幕末まで延暦寺の座主と寛永寺の住職は兼任だったそう。ガチでコピぺしたのである。

 幕末に彰義隊が立てこもって上野戦争の舞台となった寛永寺は、「朝敵」とみなされて寺領の大半を失った。それでも天海の仕事ぶりをいまに伝える風景はいくらか残っている。その1つが不忍池で、ミニ清水寺というのもある。清水寺から譲られた千手観音を本尊とし、創建された寛永8年の旧観をとどめる清水観音堂は、いま国の重要文化財になっている。パクリもこれだけの規模になると立派な文化だ。

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