元ソウル五輪組織委員長・朴世直さん

日本語堪能、両国のかけはしに

2009.08.21

 大成功に終わった2002年サッカーW杯。だが、事前準備の段階では前途多難だった。史上初の2カ国同時開催のため、大会日程や競技場の選定、チケットの配分や値段の設定に至るまで両国間で細かな調整が必要となっていた。

 その大役として白羽の矢が立ったのが朴氏。1986年のソウルアジア大会、88年のソウル五輪を組織委員長として成功に導いた実績を買われ、98年にW杯韓国組織委員長に就任した。

 英語だけでなく日本語も堪能で、就任後はたびたび訪日して政治家や自治体関係者と面会し、日韓のかけはしを築いた。

 慶尚北道亀尾出身。もともとは生え抜きの軍人だった。士官学校在学中に朝鮮戦争が勃発したため、韓国軍兵士として戦場に赴いた。その後も軍の要職を歴任し、国家安全企画部長、ソウル市長、国会議員と国政でも重要なポジションに身を置いた。

 W杯では「サッカーが南北の融和に貢献できれば」と、南北合同チームの結成や一部の試合を平壌で開催する案を北朝鮮側に打診した。だが、北側はW杯への不参加を通告し、サッカーを通じた南北統一は実現しなかった。

 大韓民国民団の常任顧問、朴炳憲さん(82)は「一般に慶尚北道は単刀直入で男らしい個性の持ち主が多い。しかし、朴さんは軍人出身でもあったのに、柔らかく、いつも笑顔で人に接していた」と温和な人柄を振り返る。

 「ソウル五輪の開催時に在日同胞から寄付を集め、委員長だった彼に渡した。私が激励の手紙を書いて送ったが、彼は非常に喜んでくれて、その手紙を額に入れて事務所に掲げてくれた」といい、「彼のかじ取りがうまかったことがW杯を成功におさめた。非常に惜しい人を亡くした」と早すぎる死を悔やんだ。

 7月27日、肺炎のため75歳で死去。東京・南麻布の韓国中央会館にも先月末に弔問所が設けられ、2日間で日本人も含めた約800人が故人との別れを惜しんだ。

(鎌田剛)