能楽観世流シテ方・藤波重満さん「謡は深い楽しみ、一生の趣味に」

2009.09.14

 ≪この光陰にさそはれて 月の都に入りたまふ…名残惜しの面影≫

 告別式では、10代のころから観世宗家でともに学んだ関根祥六さん(79)の発声による謡(うたい)「融(とおる)」が手向けられた。

 以前は観世流の謡を専門としていた藤波家は、能楽界で“謡の藤波”として名高い。能の謡は台詞と節からなり、オペラでいえば台本にあたる謡い本は、200曲(作品)以上ある。戦前、その謡い本を観世流24世家元の観世左近さんが「大成版」として編纂し直した際、立ち会っていたのが重満さんの父で謡の大御所、故藤波順三郎さんだった。重満さんは04年、初心者のための謡の教則本「よくわかる謡い方」(檜書店)を出版した。

 世阿弥が能を作った約600年前からほとんど変わらぬ独特の節を分かりやすく解説。「謡は単なる娯楽ではなく、ある意味で人生の拠り所として大切な教養的部分が含まれています。単純な楽しさではなく、深い楽しみにつながっていくものなのです。謡は一生の趣味として十分に価値のある芸術といえます」と、その愉しさにも触れた。

 1951年に東京音楽学校邦楽科能楽観世流専攻を卒業。その後も母校(現東京芸大)で教授として後進の育成に力を注いだ。長男の重彦さん(45)は、慶応大学を卒業後、跡を継ぐ決意を固めて芸大に入学。「地下鉄の根津駅から大学までの裏道を細々と記した地図を書いてくれました。私は幼いころから父のスパルタ稽古を受けてきましたが、(継ぐのは)どうしようかとフラフラしていましたから、やはりうれしかったのでしょう」(重彦さん)。その地図はいまも大事にとってあるという。

 99年の退官の年、67歳で舌がんを患い、大きな手術を2回受けた。放射線治療などで闘病しながらも04年7月の「通小町 雨夜之伝」ではシテ(主役)を演じた。

 最後の舞台となったのは07年10月、渋谷区松濤の観世能楽堂で行われた当時2歳9カ月の孫、重光(しげてる)ちゃんの初舞台。仕舞「老松」で地頭をつとめた。重彦さんは「それが3代で出た最初で最後の舞台になりました。息子はまだちょっと無理かなとは思いましたが、今やっておかないと、という気持ちもありました」と振り返る。

 7月27日夜、10年にわたる闘病生活を二人三脚で支えた妻の節子さん(67)にみとられ、眠るように息を引き取った。77歳だった。

(菊地麻見)