指揮者・若杉弘さん 日本のオペラ界を牽引した“初演魔”

2009.09.28


若杉弘さん【拡大】

 世界の名だたる劇場でタクトを操り、日本のオペラ界を牽引したマエストロは、たくみなプログラミングでも関係者やファンを驚かせ、魅了し続けた。7月21日、多臓器不全のため死去。74歳だった。

 病を押して最後に指揮したのは昨年6月。自身が芸術監督を務める新国立劇場中劇場でのコンサート・オペラ「ペレアスとメリザンド」。その同じ劇場で9月7日、お別れの会が開かれた。

 演出家の栗山昌良氏は、カーテンコールを振り返った。

 「右手で舞台袖のカーテンを握り締め、『僕のすべてを捧げ尽くしました』と全身で観客の拍手に応えていた姿は崇高で、真摯な芸術家の美しい生きる姿でもあった」

 慶應大経済学部入学後、混声合唱団学友会に所属。音楽への思いを断ち切れず、声楽家の畑中良輔に師事。父と同じ外交官になることを望んでいた母を説得して東京芸大声楽科に入り直し、畑中の勧めで指揮科に転科した。栗山氏が続ける。

 「声楽家としては華奢だったが、伴奏をすべて任されるほどピアノがうまく、文学や演劇に精通していた。アンサンブルで棒を振るのを見て指揮のほうが向いていると…」

 一方で文学座に入り浸り、杉村晴子ら演劇人にかわいがられた。

 「一緒に劇場に行くと『あの指揮者はこう振っていたが、どう思いますか』とよく聞かれた。1回聴いただけで細部まで克明に覚え、再現できる才能があった。オペラや演劇を観るとはこういうことなのかと随分教えられたものです」

 1963年、東京交響楽団を指揮してデビュー。読売日本交響楽団常任指揮者、ケルン放送交響楽団首席指揮者として活躍し、81年、東洋人初のライン・ドイツ・オペラ音楽総監督に就任。ドレスデン国立歌劇場およびシュターツカペレ常任指揮者、N響正指揮者、びわ湖ホール芸術監督などを歴任し、2007年、新国立劇場オペラ部門芸術監督に就いた。

 「任期3シーズンの300演目全体を見通した企画は、普遍的な名作、20世紀オペラ、邦人作曲家の作品−を柱にした、素晴らしいプログラムでした」と同劇場運営財団理事長の遠山敦子さんは言う。

 山田耕筰の「黒船」完全版や坂田藤十郎演出による清水脩の「修善寺物語」など日本人の作品に新たな命を吹き込み、“初演魔”の異名を取る。昨年5月には、20世紀オペラの最高峰・ツィンマーマン「軍人たち」の日本初演を成功に導いた。

 病床でもチケットの売れ行きを気にしていた。同劇場オペラ部門は昨年度、過去最高の観客入場率を達成。この秋、若杉さんが企画した最後のシーズンが幕を開ける。ラストを飾るのは心血を注いだ三島由紀夫の「鹿鳴館」(世界初演)だ。(田中暁子)