【悼 Memory】日本ジャズダンス芸術協会会長・近藤玲子さん

2009.09.29


近藤玲子さん【拡大】

 「水中バレエは私のオリジナル。二度と再びこの世には生まれない世界で一つの芸術」

 かつて、東京都稲城市のよみうりランド内にあった「水中バレエ劇場」。「近藤玲子水中バレエ団」による公演は、1964年から32年間にわたり連日、行われた。

 戦後、日本に亡命していたロシアのエリアナ・パブロヴァの門下でクラシックバレエを修めた。49年、「近藤玲子バレエ団」を設立。そのかたわら、宝塚歌劇団で扇千景や淡島千景らにバレエを指導。テレビの初期には音楽番組のダンスの振り付けや朝の体操に出演した。

 幅広く活躍していた40歳のころ、読売の正力松太郎氏から「ディズニーランドにもない水中の竜宮城をつくってほしい」と依頼された。富山の海を見て育った正力氏は「いつか浦島太郎のように海の底に行ってきれいな乙姫様にお酌をしてもらいたい」との夢があった。それを実現するために、米フロリダのタンパにある海中ショーにヒントを得て、天候に左右されない屋内での水中バレエを考案した。

 64年の初演は、武者小路実篤の脚本による「ようこそ竜宮城」。縦15×横25×深さ11・7メートルの巨大な水槽に4300トンの水を注いだ“舞台”で宝塚さながらのショーが行われた。

 暗中模索で作り上げた水中バレエ。「お姫様が鼻をつまんでいたら夢も希望もない」とシンクロのような鼻栓は論外。水圧で目が見えず、耳も聞こえない水中7メートル地点では、頭蓋骨に響いてくる音楽を頼りに舞う。想像を絶する過酷さだったが、素人でも意欲と勇気のある人を水中ダンサーに育てた。

 32年間、無事故を通したが、95年の阪神淡路大震災をきっかけに、老朽化が進んだ施設の耐震構造を調査。数億円にのぼる修理費が捻出できず断念せざるを得なかった。

 最後の公演が行われた96年12月1日、出演者には「20世紀にアメリカ人もロシア人も誰もやらなかったことを私たち名もない日本人が挑戦したことに高い誇りをもって、これから生きていってほしい」とエールを送る一方、満員の客席には「もっと前から見に来てくれれば、やめずにすんだ」と悔しさをぶつけた。

 「隠し事のないさっぱりした人間で、思ったことは言う。ズバッと言い過ぎてしかられることもありました」と長女の緒方由実さん(62)。ちょうど清原和博選手の巨人への移籍と時期が重なり、「(清原には)そんなにたくさん払うお金があるのに」と読売にも本音をかくさなかった。

 2度の離婚を経験。仕事と踊り一筋で「父親のような母でした」と由実さん。水中バレエから身を引いた後は、日本ジャズダンス芸術協会会長として舞踊家人生を貫いた。7月19日深夜、86歳の眠るような大往生だった。(菊地麻見)