シャンソン歌手・深緑夏代さん

弟子・なかにし氏が語った“訳詞道場”

2009.10.06

 宝塚歌劇団の元娘役スターで、シャンソン歌手。8月31日、肺炎のため87歳で死去した。先月4日に東京都内で営まれた葬儀では作詞家で作家のなかにし礼氏が弔辞を読み、自らの原点となった恩師との“訳詞道場”を振り返った。

 熱海で静養していらっしゃるとは聞いていましたが、まさか死に至る病と戦っておられたとは知りませんでした。昨年の9月、私の誕生日のパーティーにいらしたときは「近いうちにまた一緒に仕事をしよう」と、とてもお元気でした。

 先生の亡くなった日から毎晩、先生のレコードを繰り返し聞いております。表現の豊かさと的確さ。あばずれの歌を歌っても決して失われない「品格」こそが深緑夏代の人生だったと、いまさらのように感じます。

 初めて先生とお会いしたのは1960年8月でした。私は21歳。シャンソンの訳詞をアルバイトにする立教大学の学生でした。自分の書いた歌を深緑夏代が歌ってくれる、と興奮している私に、録音が終わった後、先生は言ったものです。

 「坊や。あなたいい詞を書くわね。私のために訳詞やってくれない?」

 自宅へうかがうと、両手いっぱいに楽譜を抱えて現れました。山ほどの楽譜の中から「ジプシーの恋歌」を訳詞したのですが、それを先生はことのほか気に入ってくださり、以来、私は先生の専属となりました。

 手取り足取り、懇切丁寧に訳詞のあるべき姿を教えてくださいました。

 「ここで遠くを見るような歌詞を付けてはいけない。ここで歌い手は足元を見たくなるの。そういうメロディーなの」

 「女心はそんなふうに動かないわよ。もっと勉強しなさい」

 私にとって先生のレッスン室は訳詞の道場であり、修行場でした。もし、私に何ものかの才能があったとするなら、それはすべてあのレッスン室ではぐくまれたものに違いありません。

 私たち、先生の教えを受けたものたちは、さまざまな形で歌にかかわりながら、この道を先生のようにまっしぐらに進む勇気を持って進んでまいります。変わらず私たちをお見守りください。

 ふかみどり・なつよ 1936年に初舞台。46年、戦後の宝塚大劇場での再開第1作公演「カルメン」でヒロインに抜擢された。その後、越路吹雪とコンビを組み、娘役トップとして活躍。55年に退団後はシャンソン歌手として「枯葉」などを歌い、ブームに火をつけた。後進を育てるかたわら、「パリ祭」などへの出演を続けて生涯現役を貫いた。

(久保木善浩)