【石井館長の魁!人生塾】過剰な「暴力団」アレルギーのイヤ〜な感じ

2010.06.09

 先週、当コラムで触れた大相撲の維持員席問題。一報からずいぶん経った今もその波紋は留まるところを知りません。

 確かに国技である大相撲と暴力団の癒着が疑われるのは、由々しき問題であります。しかし、この問題を見るにつけ、世間の「暴力団」アレルギーのすさまじさにも違和感を覚えてしまいます。

 相撲協会の苦悩を無責任に推量してはならないのでありますが、今まで恒例としていたことを「止める」と英断を下すには、警察当局の力が不可欠であったことでしょう。逆を申せば、暴力団への取り締まりがそこまで本格的になってしまったとも言えます。

 私たち戦後生まれの40、50代は、東映や日活のヤクザ映画を胸ときめかせて見ていたものです。

 そこで描かれていたのは、“任侠”や“仁義”の世界。しかし、超法治国家となり、暴力団排除の機運がかつてないほど吹き荒れている今となっては、古いヤクザの価値観はもはや死語となってしまいました。

 おそらく今の子供たちは“義賊”や“国士”の存在も知らないでしょうし、国定忠治や清水次郎長の名前すら知らないでしょう。しかし、こうした世のはぐれ者が体現していた“任侠”や“仁義”の精神は、“道徳”や“修身”の思想にも結びつくものです。

 極論かもしれませんが、日本が世界中でもダントツの治安のよさを堅持できたのは、こうした思想が社会に生きていたからだと私は思います。

 かつては、“任侠”や“仁義”を掲げた地域の親分が警察と協力し、少年たちが非行に走るのを防いでいた時代がありました。しかし、今やそんな前時代的なヤクザは皆無。警察に「暴力団」と指定された団体は、追い詰められて警察との対立はますます深刻になっています。

 “道徳”や“修身”の精神が忘れ去られた時代に育った子供たちが社会の中心を担うようになった時、果たして安全な世の中になっているのでしょうか。

 今回の大相撲の維持員席問題は、スポーツ界や格闘技界も我が身を振り返り、襟を正さなければならないものです。

 しかし、社会的モラルである“道徳”や“仁義”の精神をないがしろにしたまま、「ただ暴力団を排除すればいい」というのもなんだかおかしな話です。もちろん、テレビや映画の世界を鵜呑みにしているわけではありません。「真実」と「事実」が違うことなど、人生50年も生きていればよ〜く理解できます。

 しかし、なんでもかんでも法律でがんじがらめにする風潮は再考されるべきではないでしょうか? 押忍!!

■石井和義(いしい・かずよし) 空手団体「正道会館」宗師で、格闘技イベント「K−1」創始者。著書に「空手超バカ一代」(文藝春秋刊)がある。