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山本潤子

再び翼はためく (01/20)

 やまもと・じゅんこ 歌手。1949(昭和24)年生まれ。奈良県出身。69年5人組のフォークグループ「赤い鳥」を結成、全日本ライトミュージックコンテストでグランプリを獲得し、翌年デビュー。74年解散後、「Hi−Fi Set(ハイファイセット)」と「紙ふうせん」に別れ、「ハイファイセット」に参加。メンバーの山本俊彦と結婚。94年解散後、ソロ活動を開始。00年元オフコースの鈴木康博、元ふきのとうの細坪基佳と「Song for Memories」を結成。またコーラスユニットAprilとしても活動する。
 2月には沖縄民謡の人気歌手、古謝美佐子とジョイントコンサートツアーを開く。2月13日東京・中野サンプラザホールなど。また同28日には、クラシック専用の第一生命ホール(東京・晴海)で、ソロコンサートが控える。
山本潤子
山本潤子

【「Hi−Fi Set」解散後、ソロで10余年】

 街角でだれもが口ずさむ。パチンコ店からも流れてくる。そんなヒット曲に恵まれることは、歌手として得がたい勲章だ。同時に、「次」へのハードルを意識するあまり、“ヒット曲の呪縛”が襲ってくる。

 ソロ活動を始めて十余年になる彼女も、一時は「竹田の子守唄」「翼をください」「卒業写真」「フィーリング」といった過去の歌を意識的に封印していた。

 「新しいことをやるときは、過去を取っ払って打ち出したい性格だったんです。ソロになったばかりのときも全部、自分で曲を作って、やる気まんまん。だけど、どうすれば思うように気持ちが伝わるか、迷ってもいました。つらかったですね」

 しばらくして、自信をなくしかけたとき、友人から、「いっぱいあるじゃない。絶対歌わなきゃ」とヒット曲の持つ重みを改めて突きつけられた。

 音楽活動を続けながら無我夢中で育ててきた2人の娘も気づかせてくれた。小学5年になった娘が、ある日、リコーダーで聞き慣れた旋律を吹き始めた。

 「なんで、知ってるの? それお母さんが歌ってた歌よ」

 教科書に載っている「翼をください」だった。同じように音楽の授業で習った世代が、95年のサッカーW杯予選で、この歌を応援歌として歌いピッチを盛り上げたことは記憶に新しい。

 翌年の長野五輪では自身がこの歌をジャンプ競技の表彰式で、二十数年ぶりに歌うことに。

 「以前は、『赤い鳥』のころの伝承歌や子守歌は、『紙ふうせん』さんが歌うもの、私のいた『ハイファイセット』はポップスを追求していく、みたいに思っていました。でもソロになってから、そういうガードがなくなった。横のつながりが広がって、歌えない、と言えなくなってきた。『山本潤子が歌わないでだれが歌うんだ』って、みんなに背中を押してもらった。今では素直に歌えます」

 伊勢正三、森山良子、鈴木康博、細坪基佳、小田和正…ソロになってからさまざまなアーティストから共演やユニット結成を呼びかけられ、音楽活動の幅も広がった。

【アルバム「small circle」でピュア表現】

 最新アルバム「small circle」は現在、ライブを支える新しいバンド仲間との出会いから生まれた。全14曲の大半の作詞作曲を手がけるギターの井川恭一は、15年間サラリーマンを務めた後にバンドマンとなった異色の経歴。

 「新聞社の営業社員だったんですが、8年ぐらい前に、自作曲の入ったMDとファンレターをいただいて。はじめは『熱心なファン』ぐらいに思ってたんですが、さらに2年ぐらいして、曲が送られてきたとき、『ちゃんと聴いてみよう』と。そしたら、ギターの音がすごくいい感じで、すぐメールを打って、バンドを作りました」

 井川の作る歌は、夫婦で久しぶりに映画を見に行ったり、近所の土手まで愛犬の散歩に行ったり、というだれもが共感できる日常が綴られ、ほのぼのとした曲調とともに、すんなり耳に入ってくる。そのピュアな感覚を生かそうとアルバムは山本と井川の共同プロデュースで、インディーズから出した。

 「冒険した、背伸びした若いころやファッショナブルだったころがあって、今につながっている。このアルバムには、作られたものじゃない素の山本潤子がいます」

 リコーダーを吹いていた娘はすっかり大きくなり長女(23)は、今春から小学校教諭に、二女(20)は大学生活を謳歌中。

 「早く自立してほしい」と願う母は子育てから解放されて、「また、音楽に100%打ち込めるようになりました」と晴れやかだった。

ペン・中本裕己
カメラ・内藤 博