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島田洋七

がばい伝道 忙中歓あり(11/11)

 しまだ・ようしち タレント、漫才師。1950年2月10日、広島市生まれ。56歳。本名・徳永昭廣。大学を中退後、大阪に出て、島田洋之助・今喜多代に弟子入り。72年、漫才師デビュー。NHK漫才コンテスト「最優秀話術賞」などを受けて注目され、75年に洋八と「B&B」を結成。80年前後の漫才ブームの先頭を走るが、ブームが去って、83年9月にコンビを解散。以後は、タレント活動を中心とするが、洋八とのコンビもこの間に復活。家族は駆け落ち結婚した妻と公立病院看護師の長女、「B&Bレコード」経営の長男がいる。
 【映画がDVD化】吉行和子が、がばいばあちゃんを演じた映画がDVD化され、21日、東映ビデオから発売される。本編1時間44分。メーキング場面や原作者の洋七、キャスト、監督らのインタビューを収めた特典映像付で4935円。また、コロムビアは22日、洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」トークショーのDVDをリリースする。こちらは3000円。
島田洋七

【祖母を語り…全国を飛び回る】

 遊ぶヒマがない。

 九州・佐賀を拠点に全国を飛び回る日が続く。

 自身の祖母の思いをつづった自伝的小説「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒット。原作本は220万部を超えるベストセラーを続け、映画化、ドラマ化、そして来年は舞台にもなる人気だ。

 「あちこちで講演をやるんですが、1時間半ほど一生懸命に話すんです。確実にファンになっていただける。その点がテレビの仕事とは違うてますね」

 1980年前後の漫才ブーム。「もみじまんじゅう!」の一発芸と、相方・洋八のアフロヘアに向かって、「よこいさーん、おのださーん」と叫んで、アイドル並みの人気となった。

 当時も金を使うヒマがなく、現金3億円が塊になって押し入れに眠っていたことすらあったほどだ。

 しかし、人気者はあっという間に表舞台から姿を消した。

 「コンビ解消後、5年ほども遊んどったですかねえ。仕事がなくて。あの時も、ばあさんいいこと言うとったね。『頂上には何もない。谷は下りていけば鳥も魚も、水もある』ってね」

 その充電後、8歳で生まれ故郷の広島を離れ、中学を卒業するまで母の実家・佐賀の祖母の元で暮らした体験をまとめ、各地で語るようになった。

 「本も最初は、3000部を自費出版で出したんですよ。大手の出版社はどこも、ばあちゃんの話なんか地味や、と」

 それが評判になり、18年続ける講演活動も「学校、企業、地方自治体−もう3000カ所になりますね」という。

 その「がばい(すごい)」活躍のエネルギーの根源は、川上の青物市場から流れてくる売れない野菜を拾ったり、磁石でくず鉄拾いをしたばあちゃんとの貧しい暮らしにあった。

 いわば、貧しさに耐えながら向上しようとする“おしん”のような少年だったのか。

 「ちゃいますよ。明るいんです。貧しいから、といじめられることもなかったしね」

 小学校4年のときから野球をはじめ、キャプテンだった。中学校に進んでからも他校との試合を仕切るなど「交渉ごともうまかった」。

 −−頭がよかった?

 「うん。この前(島田)紳助とも言うてたんやけど、芸人はアホじゃできない。やっぱりみんなアタマいいですよ。学校の勉強はできなくても、社会にはもっと立派な教科書がある、とね」

 野球の腕を買われ、野球の名門、広島・広陵高に進むため、佐賀を離れて母の元に帰るが、けがで野球は挫折。一方で、同級生は夏の甲子園で準優勝を果たしていた。

 「地元の大学にも野球で入れたけど、兄貴も大学行っていて、母親だけ昼夜働かすわけにはいかん、と大阪に出た…」

【「ばあちゃん」来年は舞台へ】

 芸能界での浮沈も経験したが、「(ビート)たけしさんも『洋七は戻ってくるよ』って言うてくれてたね。がばいの本の帯も、たけしさんが書いてくれた」と仲間の存在も、バネになったようだ。

 「今は、ひと月に24日くらいホテル暮らしで、佐賀に帰るのが半日みたいなこともあるほど。でも、忙しいのは苦ではないですね」

 ただ、「本がまじめやからね。飲みに行って、きれいなおねえちゃんと一緒にいたら、“がばいばあちゃんがイイ女連れとるぞ”なんて言われたりするからね。遊んどれんわ」と苦笑いした。

 来年の舞台には自身がばあちゃんになって出演する。映画の続編も自分で監督したいという。これからもヒマはできそうにない。

ペン・谷内誠
カメラ・山田俊介