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串田和美

終演なき舞台人(1/13)

 くしだ・かずよし 演出家、俳優。1942年8月6日、東京都生まれの64歳。日大芸術学部在学中に俳優座養成所に入るが、大学と両立できずに中退。文学座をへて66年に養成所時代の仲間である吉田日出子らと「劇団自由劇場」を結成。75年に「オンシアター自由劇場」に名前を改め、「上海−」(79年)などがヒット。96年、自由劇場を解散。2000年から日大芸術学部教授のほか、03年から長野・まつもと市民芸術館館長兼芸術監督をつとめる。
串田和美

【CMにも出演中】

 暖冬とはいえ、日本酒がうまく感じる季節。ふと見るとテレビ画面の中で杯を傾けるこの人の姿が…。日本酒のCM(白鶴)だった。

 舞台人の中には、CMやテレビ出演を「マスコミの仕事」と呼んで嫌う向きもある。ちょっと意外な印象を受けた。

 「いやいや、商品を持ってこれがお勧め!というものではないですからね。ドラマ仕立てのCMだから出たんですよ。もう2年前から流れています。“見たよ”なんて言われると、恥ずかしい面もありますけどね」

 それはびっくり。気がつかなかった。

 「昔の人たちは、マスコミに背を向けるみたいな考えはあったでしょうが、もう変わってると思いますよ」

 確かに、自由劇場に在籍した笹野高史、小日向文世らはいつの間にか、ドラマ・映画はもちろんバラエティーでもしばしば見かける存在になっている。

【23歳で自由劇場を旗揚げ】

 「そうそう。柄本明、余貴美子、高田純次やベンガル、佐藤B作、萩原流行、イッセー尾形…みんな自由劇場にいた。みんながんばってるなって思いますよ。歴史に残ろうなんて思わず、ただ目の前のことを必死にやってきただけなんですけどね…」

 41年前、東京・六本木のビルの地下で生まれた「劇団自由劇場」は、1960−70年代の芸術活動「アングラ=アンダーグラウンド」を象徴する存在のひとつだった。

 「旗揚げ時は23歳でした。今でこそ学生でもどんどん劇団を作るけれど、当時は非常に珍しかった。寺山修司の天井桟敷や唐十郎の状況劇場も同じころにあったわけですが、当時は横の連帯や情報もなかったから、存在に気づいたのはずっと後になってからでしたね」

 後に劇団の名前にオンシアターと冠したのは、アングラのイメージを払拭したい気持ちもあったから、という。そして、戦前の上海を舞台にジャズメンの青春群像を描いた代表作「上海バンスキング」(原作・斎藤憐)が生まれたのだった。

【7歳のジュニアが楽しみ】

 父は哲学者で詩人の孫一(一昨年死去)、祖父・万蔵は三菱銀行初代会長という家に育った。自身は、安倍晋三首相と同じ成蹊学園で小学校から学んだ。

 「中学に入ったときに、先輩に長山藍子さん、山本学さんがいた。彼らの芝居を見て演劇部に入った。そこに斎藤もいたんですよ」

 最近は教えたり、演出する仕事が多いが、2月には久々に役者に戻る。英国のヒットコメディー「ヒステリア」(13日から東京・三軒茶屋のシアタートラム、3月9日からまつもと市民芸術館)に主演する。

 「僕は死に瀕したフロイトを演じます。そこにサルバドール・ダリやエキセントリックな娘が絡むんです。晩年のフロイトがダリと会っているのは史実なんですが、そこで何が起きたかはお楽しみですね」

 さて、プライベートでは写真家でもある明緒夫人(34)との間の息子、十二夜君(7)と過ごすのが息抜き。

 「今年小学校2年生になりますが、芝居を見に連れて行っても、おとなしく見てるんですよ。歌舞伎も静かに見ていてねえ…」

 シェークスピアの「十二夜」から名前を取ったジュニアの成長ぶりに目を細める。

 「あと十数年は元気でいなきゃって思いますね。同級生はリタイアしていく年齢ですけど、人間はトシじゃないですよ」

 夫人が仕事で留守にしたりするときは、自ら台所に立って料理もするそうだ。

 「新しいことをやろうとする気持ちが大切ですよ。まだまだ修業です」と笑ってみせた。

ペン・谷内誠
カメラ・瀧誠四郎