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中田久美

受け継いだ勝負師の情熱(11/8)

 なかだ・くみ 1965年9月3日生まれ、42歳。東京都出身。中学入学までは水泳部に所属。中学から始めたバレーボールで才能を開花、80年に15歳で全日本代表に選出。翌年、日立に入り、日本リーグ新人賞を獲得。天才セッターとして脚光を浴びる。84年ロス五輪で銅メダル。88年のソウル、92年のバルセロナ五輪にも出場し、日本女子バレー史上初の3回連続五輪出場を果たす。現在はスポーツキャスター、タレントとして活動。

中田久美<

【柳本ジャパンに「意識高めて」とチクリ】

 熱戦が続くバレーボールのワールドカップで、テレビ放送される女子全試合の解説をつとめる。私情をはさまない冷静な解説には定評がある。五輪出場をかけて戦いに臨む柳本ジャパンへの評価も厳しい。

 「アジア選手権を制した勢いのままでいけば、いいところまでいく。ただ、直接点にからまないミスへの意識が足りない。選手ひとりひとりのボールへの意識をもっと高めなければいけません」

 意志の強そうな目と凛とした立ち居振る舞い。勝負への厳しさは人一倍だ。2004年、アテネ五輪最終予選突破を決め、祝賀ムードにわく日本代表をテレビカメラの前で怒鳴り上げたこともある。

 「打ち上げのままの流れでスタジオに入ってきたので思わず…。音声は入っていないと思ったんですけど、しっかり拾われてしまいました。彼女たちの目的は五輪に出ることではなく、メダルを獲ること。獲ってもいない段階であれほどはしゃぐのはちょっと違うのではないかと思って」

 現役時代の8年間、コート内の監督であるセッターとして女子チームを率いてきた経験ゆえの危機感。事実、その後のアテネ五輪で日本は惨敗を喫する。

【3度目の五輪と3度目のW杯】

 「女子チームは100%の力を出さない。つねに、どこかで余裕を残すところがある。男子バレーが階段とするなら、女子バレーはらせん階段。基礎練習の反復を繰り返しながらチームを作り上げていかなければいけない」。3度の五輪と3度のW杯を戦い、“世界の壁”を痛感した勝負師の目はあくまで厳しい。

 現役時代は、その日の選手ひとりひとりの状態まで把握。「どういう場面でどう使うかまで考えていた」という。全日本を率いる重圧は並大抵のものではなかった。「現役時代はほとんどしゃべらなかった。よくチームメートに目が笑ってないと言われました。ストレスで円形脱毛ができたこともあった。一人だけ長髪だったのはそれを隠すためなんです」

【故山田監督から戦術眼学ぶ】

 昨年他界した実父以外に、もうひとり父がいる。「バレーの中田」を作りあげた故山田重雄・元全日本女子監督だ。

 「16歳から実業団の世界に入りました。長く親元を離れていたから父の性格はわかりませんが、山田監督の性格はわかる。勝負に妥協しない指導者でした」

 「モントリオール五輪でのコマネチの活躍ぶりを見て、英才教育の必要性を痛感した」という山田監督に素質を見込まれたのが彼女。15歳で代表入りし、日本を背負うセッターとして、すべてをたたき込まれた。

 「とんでもないことを考える人でした。日韓戦で緊張感を出すため、甲子園の応援を録音して練習試合で流したり、スピードアップを図るためにネット脇のアンテナ2メートルに網を張って、その中で試合をさせたり。無駄のない実践的な練習が多かったですね。ロス五輪のときは相手選手の生い立ちから家族構成まで調べ上げていました」

 そんな山田監督から受け継いだ緻(ち)密(みつ)で冷静な戦術眼。その目に、ロス五輪での銅以来、長くメダルから遠ざかっている日本バレーはどう映っているのか?

【全日本監督として「戦いたい」】

 「メダルを獲るには10センチ、15センチのズレが致命的になる。針の穴に糸を通すような戦略と緻密さが必要です」

 緻密さは性格にも反映している。「怖い」イメージで見られがちだが、ふだんは「怒るときはまず考えて、我慢するタイプ」。いまは母と2人、長野で暮らすが、「長野に帰ると、ひとりでぼーっとしていることも多い」という。だが、バレーの話題になると一瞬で勝負師の顔に変わる。

 コートを引退した“監督”がいま目指すのは本当の「監督」。全日本監督として「戦いたい」と言い切る。

 「これまでの監督さんたちを見ていたら、絶対に早死にするだろうなとは思う。それほど大変な仕事です。でも、戦いたい。時々、なんでこんなにムキになるのかと思うこともあるんですが、たぶんがけっ縁が好きなんでしょうね」

 そういって見せた笑顔の中の目は、やはり笑っていなかった。

ペン・安里洋輔
カメラ・鈴木健児