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森田釣竿

世界初解体唱(8/14)

 もりた・つりざお 1974年5月18日生まれ、34歳、千葉県浦安市出身。本名は非公表。2004年にロックバンド「漁●(ぎょこう)」でメジャーデビュー。自らをフィッシュロッカーと名乗る。朝は浦安魚市場の鮮魚店「泉銀」の3代目、夜はライブ会場でロックとともに食文化、親孝行、地球などを熱く歌い、語る。昨年、「責任あるまぐろ漁業推進機構(OPRT)」のマグロ保存を訴えるパンフレット作製に協力。今年1月、枕崎鰹節大使に就任するなど精力的に活動している。
森田釣竿

【伝え鯛!】

 日本人は、あまり魚を食わなくなった。漁獲量も減っている。7月には原油高のあおりで漁船が全国一斉休漁に追い込まれた。漁業を巡る状況は極めて厳しい。

 だからこそ、「つねに前を向いて盛り上げたいわけよ。暗いんだもん、みんな。全員で暗くなったら歯止めがきかなくなる」と、耳慣れぬ「フィッシュ・ロック」で絶叫する男。魚とロックの“融合”−−間違いなく世界初の試みである。

 ねじりハチマキにランニング、長靴姿でステージに立ち、歌うのは「鮪 マグロ節」「鰹 削れ!かつおぶし」など魚をテーマにしたものだけ。「魚食文化を伝え鯛!」の思いを客席に向けて発散し、ステージ上ではマグロの解体も披露する。

 「ほお肉はステーキにするとうまいよー」「目玉は甘辛く煮て!」と切り身が次々と客へ渡され、とにかく盛り上がる。「視覚」「聴覚」のライブハウスに「味覚」「嗅覚」を持ち込んだ点も世界初だろう。

【浦安漁師の誇り】

 千葉県浦安市の魚市場で父から継いだ鮮魚店を営んでいる。祖父は漁師だった。ディズニーランドができ、宅地造成が進んだ現在では想像もつかないが、かつて浦安といえばノリやアサリを獲る小さな漁師町。子供のころは「ランニングにステテコのジイさんがうちわ片手に平気で歩き回る街だった」。たかだか30年前の話である。

 埋め立てで海がつぶされ、すき間なく家が並び、見知らぬ人間がなだれ込んできた。未知の食文化とも遭遇した。ハンバーガー、フライドチキン、コーラ…。「それまで、おやつといえばさきいか、煮干し、シラスとかでね」。

 幼稚園に通っていたころ、魚市場の仕事を終えた父親に「久しぶりに海へ行くか」と手を引かれ、以前使っていた漁船で沖に出た。船には父の仲間20人と大量の一升瓶。大人たちは手拍子で演歌や民謡をうなった。

 みんなの顔がすっかり赤くなったころ、誰かが「昔はあのあたりがオレたちの仕事場だったもんな」とディズニーランドを指さした。当時の森田少年は「意味がわからなかった」という。ただ、父親たちは楽しそうに騒ぎながらも、どこか遠くを見る目で寂しそうにしていたのをはっきりと覚えている。

【「この国にはろくな大人がいない」】

 漁師の血を受け継ぎ、店頭に立つようになったいま、「この国にはろくな大人がいない」とつくづく思う。あるとき、子連れの女性に200グラム300円の天然しじみを「まあ高い」と言われた。子供はゲームに熱中。「ガキにゲームを買い与えて、しじみは高いなんて。物の価値観は大丈夫か、このババア!」と怒鳴り…、はせずにその場はこらえた。

 「だってね、自分の口に入るものですよ。ゲームはなくても、食べ物がないと生きていけない。肉だって魚だって生き物だから親がいる。親から生まれた子の命をもらって、つまり食べて、みんな生かされている。それがいまは、金さえ払えばいいという生意気な考えになっている」

 そう、それにわが国と国民は、第一次産業従事者を軽視する傾向にもあるようだ。命の源を、それこそ命がけで捕獲したり生産してくれているというのに。

 「だからね、オレは第一次産業がもっとカッコいいと思われるようにやっていきますよ」

 サングラスの奥で鋭い眼光キラリ。その心意気、すごくカッコいいぞ!

●=漁港の港が反転