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内藤陽介

切っても切れない切手との仲(1/15)

 ないとう・ようすけ 郵便学者。1967年1月22日、東京都生まれ。41歳。小学生時代から切手の収集を始める。中学時代には、子供向け切手月刊誌『スタンプクラブ』のジュニア編集委員となり、編集やイベントの企画に携わる。90年、東大文学部を卒業後、同大大学院助手を経て、切手の博物館(東京・目白)副館長となる。切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱。著書は『北朝鮮事典』(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など多数。
内藤陽介

【コドモの頃から変わらず夢中】

 ちょうど今から60年前の丑年(1949年)、戦後初めての年賀切手がお目見えした。和服姿でおかっぱの女の子が羽子板で遊ぶ「羽根つき」。

 「手元に同じ『羽根つき』切手が2枚あるが、色が全然違う。当時の紙は粗悪で混ざり物が入っており、普通なら捨ててしまうような品質でも販売されたんですよ」

 終戦直後の混乱も収まり、この年に年賀郵便の取り扱いが復活。年賀切手は期間内に差し出すようアピールする目的が大きかった。記念すべき“第1号”も「直前に出た『見返り美人』切手の方が話題となり、あまり注目されなかった」という。

 だが、その後徐々に注目されはじめ、お正月にはつきものの存在に。内藤さんは、そんな年賀切手にまつわる1枚、1枚のエピソードを『年賀切手』(日本郵趣出版)にまとめた。「自宅だけでなく、2つ借りているトランクルームにもあり、総数は多すぎてわからない」という膨大な切手コレクションから、昭和の時代に発行されたすべての年賀切手を取り上げた労作だ。「少年時代、切手収集の趣味は通過儀礼だった」という世代。63年には東京都内で年賀はがきの景品だった切手シート欲しさに、少年グループが他人の年賀状を盗んで補導されるという事件まで起きた。

 「切手の発行日に子供が学校をさぼって郵便局に並び、教育委員会が切手収集の趣味を禁止にする“お触れ”を出すなど、バブル的な時代だった。今でこそ、年賀はがきにくじが付くのは当たり前ですが、昔は『くじなんか付けて国が射幸心をあおっていけない』と批判した人もいた」

 当時は「投機の対象にもなっていた」というから驚きだ。

 「干支の切手は海外で人気があった。お年玉切手シートはとりあえず当たらないと手に入らないので、額面20円を30円で買う業者もいました」

【オイルショックでバブル弾け】

 印刷のきれいな切手シートを確保するため、業者が年賀はがきを数万枚単位で押さえることも珍しくなかった。主婦も定期預金の代わりに切手を買った。

 熱いブームに目を付けたのは政治家。複数の郵政相が自身の選挙対策として、出身地の郷土玩具をデザインに採用した。取り上げられた地域では記念のイベントが大々的に開催されるなど「ある種、公共事業の一つだった」。

 だが、そんなバブルも長くは続かない。「オイルショックの後、76年に封筒の郵便料金が20円から50円に上がった。新たに切手が買いにくくなり、『じゃあ売ろうか』という段階で市場が飽和状態となり、実はプレミアが付かないことに多くの人が気付いたのです」

 郵便料金の値上げは、子供たちの小遣いを直撃。ブームは一気に収束へ向かった。

【大人の趣味としての収集訴え】

 そんな切手バブルを体験した世代の人たちに今、「もう一度、あのころの切手を収集してほしい」と訴える。

 「これまで発行されたお年玉切手シートをすべてそろえるのに、3−4万円あれば足ります。切手は国家が威信をかけて作ったもの。文化的な背景を調べるのも楽しいし、子供のころにプレミアが付いて買えなかった切手も、1回の飲み代を我慢すればネットオークションで簡単に買える時代になっている。夫婦共通の趣味にもなりますよ」

 今年の年賀はがきの抽せんは今月25日。“大人の趣味”の手始めに、当選番号をチェックしてみては?