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【白川道】筆走るひとり道「これからは昭和しか書かない」

2009.12.09


白川道【拡大】

 夕刊フジ連載中のコラム「俺ひとり」で人気の作家、白川道氏。寡作で知られるが、今年7月に2500枚の書き下ろし小説『最も遠い銀河(上・下)』(幻冬舎)を出版するや、9月に『竜の道 飛翔篇』(講談社)、そしてこのほど、本紙のコラムをまとめた『俺ひとり ひと足早い遺書』(幻冬舎)と矢継ぎ早に出版。「今後も2、3カ月ごとに本を出すつもり」という。いかなる心境の変化なのか?

 「そろそろ人間としての寿命が来ている感じです(笑)。脳みそもだいぶ退化し、固有名詞も出てこないしね。今のうちに書くものを書いておこうという気になりました。それに、今のようなテンポの速い時代に、何年もかけて小説を書いていたんじゃ忘れられてしまうでしょう。2、3カ月ごとにポンポンと出していかないといけないと考えを改めました」

 何しろ、7月に出した『最も遠い銀河』は、幻冬舎でいえばその前にベストセラーになり、テレビドラマ化された『天国への階段』から8年ぶりの書き下ろし。いかに何でも間が開き過ぎ。というわけで、一転して多作宣言だ。読者にとってはありがたい話。

 連載エッセー「俺ひとり」は、もう3年を超えた。わが道を行く筆者が、独自の見方で身辺や世の中のできごとを歯にきぬ着せず書いてきた。時折、「よくぞ書いてくれた」という読者のはがきが舞い込むほど人気だ。

 「なに、そんなに上等なものじゃない。好き勝手にやっていれば、最後はひとりですよ(笑)。親兄弟、子ども、彼女も去っていき、いまさら仲間に入れてくれといっても誰も入れてくれない。作家同士のつき合いもしてませんしね」

 連載から70編ほど選んで筆を加え、新たにタイトルを付けて、1冊にまとめ「ひと足早い遺書」という副題を付けた。

 「いつお迎えがきてもいい、という感覚はあるんですね。その裏ではいい時代を生きてきたという実感もある。社会をドロップアウトしても、ひとりで会社を興して生きてこられた。右肩上がりの社会にまだ余裕があった。でも、今は一度踏み外したら、転落するしかない。今は犯罪をみても凶悪で、人間としての情を感じないでしょう。連載中、『昭和党』党首宣言をしたが、僕はこれからは昭和しか書かない。あの時代のどこが良かったのか、そしてこの時代が何を失ったのか、ひとり言のようにしゃべるエッセーにしたい」

 単行本は連載当初を読み損なった読者にもおすすめだ。白川さんは1945年生まれ。終戦後から高度成長期、そしてバブル期、その崩壊…いいも悪いもあますところなく昭和を味わい尽くした。果ては株で失敗して2年半の刑務所生活も体験。このころ、小説を書き始めた。

 「大学を出て、4年ほどサラリーマンをやりました。当時、就職は売り手市場で、最初は関西の電機メーカーに、旅費をくれるというのでグリーン車で面接に行ったんです(笑)。完全な冷やかしで、大学では何をしていると聞かれ『ばくちばかり』と答えたら、妙に気に入られて就職。でも新人研修中に始末書を取られました。社内麻雀の勝ちが給料より多かったんですが、仕事には興味が持てずに3カ月でやめました。そして遊び人が多そうで勉強になりそうだということで広告代理店に入ったんです」

 その後、独立。やがて、株など投資の世界に入り、自ら投資顧問業を興す。バブル期の前だったが、自身はバブル絶頂期のような体験をした。そして、塀の中に。そこでもひとりを貫いた。

 「裁判どうこうより、それまでの人生の総括としてこれがあるのだと受け止めました。世間をなめ、おねーちゃんをさんざん泣かせて生きてきた。ひとつだけ『独房にしてくれ』と注文をつけました。中では自分なりに小説の書き方を勉強していた。出てきて2カ月ほどで書き上げたのが処女作です。いい格好しいだから、俺はあほじゃないと立証したいというよこしまな動機が含まれていましたね」

 94年に書いた『流星たちの宴』は、株の仕手戦が舞台のひりひりするようなサスペンス。世の中はハードボイルドの新旗手として迎えた。それから15年。寡作で鳴らした作家が、ひとつの節目を迎えたようだ。(ペン・幾田進)

プロフィール 白川道(しらかわ・とおる) 1945年10月19日、中国・大連生まれ、64歳。神奈川県平塚市育ち。一橋大社会学部卒。ギャンブラーとしても知られ、特に競輪歴40年。20年ほど前のピーク時には静岡・伊東温泉で豪遊しながら、競輪場で月数千万円を稼ぎ出した逸話がある。でも、「最近はさっぱり。同居人のほうが調子いいですよ」とか。“同居人”とは『週刊新潮』部長職編集委員の中瀬ゆかりさん。夕刊フジにエッセー「ナナメ45度 おんなの坂道」を連載、夫婦漫才のような掛け合いも評判だ。

白川道
 

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