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【土井香苗】エリート弁護士より人権保護 人への愛、熱く厚く

2010.01.12


土井香苗【拡大】

 桜蔭中・高から東大法学部に現役合格。在学中に史上最年少(当時)で司法試験に合格し、5年間の弁護士活動の後、米ニューヨーク大学で博士号を取得した。目もくらむような経歴だが、現職は都内の私大の小さな1室を間借りしたNGO(非政府組織)の代表。スタッフはわずか2人だ。

 「そうですよねー。人生が2度3度あれば、有名法律事務所に入って、M&Aとかで年間何千万円も稼ぐエリート弁護士になるのもいいですよね。まぁ、でも、人生は1回きりなので…。昔から難民保護をやりたかったのでこういう方向に進んだだけみたいな…。エヘヘ」

 華麗な経歴に萎縮していた記者を拍子抜けさせるような気さくな受け答え。だが、その行動力はやはり並じゃない。国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)」は「アムネスティ」と比肩する世界最大の人権団体だが、その日本支部は彼女が自ら立ち上げたものだという。

 HRWが入手する人権侵害情報は、その速さ、質、量ともに世界最高。弾圧する側への政治的圧力によって事態を改善することを目的に、先進国政府に国際政策を提言するシンクタンクの機能も持つ。世界80カ国に250人の職員を擁し、ニューヨーク本部はエンパイアステイトビルの2フロアを占有しているという。

 「私がいたニューヨーク大やハーバード大、コロンビア大など全米の有名大から毎年1人ずつしか採用されないほど、優秀な人材が集まっています。私は国際交流基金のバイパスを使って1年間潜り込むことができました。人権への使命感? ないといったらウソになりますけど、私の動機は単に人権侵害に遭っている人たちがものすごく気の毒だってことだけ。日本で難民がすごく不当に扱われている現実にも、同情と同時に怒りがわいてくるんですよ」

 人への愛は、自身の生い立ちも少なからず影響しているようだ。幼少時から東大入学後まで「度を超した八つ当たり同然」に勉強を強いた母に強烈な恨みを抱き続け、司法試験直前についに家出。現在のキャリアはその母の熱心な教育方針のたまものといえなくもないが、いずれにしてもそれ以降、母娘はほとんど会っていない。

 「大学に入ってブチ切れちゃった。二度と勉強するかってね。でも母親はそう思っていなくて、さらに対立が激しくなって家出したら、パカッと人生が明るくなったんです。それでアフリカに行ったり、昔からやりたかったことをやっちゃった。そのまんま、やりたい仕事をやっています」

 こうして自らの“人権”に目覚めたあと、怒りの矛先は日本政府に向かう。著書『“ようこそ”と言える日本へ』(岩波書店)には、命からがら日本政府に助けを求めてきた難民への対応のひどさが綿々とつづられている。

 「ついこの間も、カンボジアで数十人のウイグル難民が中国に強制送還されそうになり、HRWのスタッフがそれぞれ自国の政府に働きかけました。欧米各国は真夜中でも国務長官レベルの人が電話で対応してくれて、すぐにカンボジア外務省に圧力をかけます。けれど、カンボジアへの資金援助がトップで最も影響力のある日本の外務省は『事実確認します』で終わり。世界中から次々と“ミッション完了”のメールが入るとすごく落ち込むし、ムカつきますよね。何でワタシの国ってこんななんだろうって…」

 日本政府の黙認などもあり、カンボジア政府は強制送還を決定。おそらく難民たちは収容所で拷問や処刑の憂き目に遭っているのだろう。

 厚い壁は日本政府だけではない。資金(寄付)の調達も「日本代表」の重要な仕事だ。

 「少額の寄付でも、継続してやってもらえたら、それはすごく意味のあることです。年間1万円で2000人が寄付してくれれば2000万円。ただ、スタッフを4、5人に増やしたいと思うと、年間4000万円は集めなくてはいけません。やはり、企業や団体から数百万円単位の寄付がないと難しいですよね。悲観的ではないけど簡単でもないぞ、と思っています」

 焦らず、熱く、今日も世界のどこかで起きている人権侵害に目を光らせている。

 ペン・小川健

 カメラ・瀧誠四郎

プロフィール 土井香苗(どい・かなえ) 1975年8月22日、横浜市生まれ、34歳。国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウオッチ日本代表、弁護士。96年、大学3年時に司法試験に合格、2000年に弁護士登録。05年、ニューヨーク大ロースクールに留学。翌年、HRW本部フェローとして1年間勤務。07年から現職。既婚。子供なし。

土井香苗
 

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