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【堂本光一】一筋の光が見えた瞬間「多くの気持ちを裏切らない気持ちで」

2010.02.22

 1世紀の歴史を誇る東京・日比谷の帝国劇場。森繁久彌、美空ひばり、森光子、草笛光子…多くの芸能人がしのぎを削った場所で、10年の歳月を過ごした。

 「始まったときは、そんなに続くと思っていませんでした」

 2000年からスタートした舞台「SHOCK」シリーズ。最新作の「Endless SHOCK」の稽古中でジャージー姿の青年は、左肘をテーブルに付き、掌を左ほおに添え、視線を右下に落としながら話を始めた。

 「2005年に大きく変更したんです。ジャニー(喜多川)さんに『コーイチの思うSHOCKを作ってみろ』と言われましてね。自分の思うように内容を描いていったんです」

 尊敬する所属事務所社長、ジャニー喜多川氏の信頼に応えようと、ときには楽屋に泊まり込み、試行錯誤を繰り返した。

 「ステージに立つ者の理想を描けたらと思ったんです。とくに、『Show must go on』−ショーは何があっても続けなければならないという志を込めました」

 ブロードウェーに立つことを夢見る仲間たちの間で生じたすれ違い。それが原因で主人公は舞台上で命を落とすというストーリー。

 「死んだら、その先に得るものって何もなくなってしまうと思うんです。だけどステージに立ち続ける…。矛盾しているようだし、答えのないテーマだと思うんですけど、これは僕にとっての教科書でもあるんです。(役者として)主人公にはかなわないけれど、それに近づかないと芝居はできない」

 10年も続けていると、さまざまなことが起きる。00年には大腿部の筋肉断裂、02年は足首の靱帯損傷を負った。

 「靱帯損傷のときには動くのもままならなくて、思うように動けない自分が悔しかった。そんなとき(製作の)東宝の人に『思うように動かなくても、ほかに見せ方はあるはずですよ』と言われたんです」

 光が一筋、差し込んだ。

 「技術的な制限もありましたが、内面から出す“表現の世界”しかないと思ったんです」。スタッフやキャストの支えもあり、添え木をして千秋楽を迎えることができた。

 多様なダンスにフライング、大立ち回り、20段以上の階段からの転落…と身体を張った舞台だ。

 「20代の後半ぐらいから、ステージ前に身体を起こすことを真剣に考え始めました。午後1時からの昼公演のときは、午前10時に起床して11時に劇場に入る。そして食事を何にするか考えます。疲れていて食欲はないけれど、食べないと身体が動かないですからね。食事を取って、ストレッチをして、ウオーミングアップ。身体の中から温めたいから、少し熱めの湯船にも7、8分つかります」

 このサイクルを公演中は崩さない。

 「験担ぎではないけれど、なんやかんやあってリズムが狂って何かあったら、と思うとね」

 舞台後も同じ。

 「終わったら風呂に入り、家では歯磨きをするくらいで済むようにして帰ります」

 帰宅したら、睡眠時間の6時間から逆算し、床に入る時間を決める。

 「そうすると4時間くらいフリーになるんです。家でダラダラしていますね」。ゲームや愛犬の「パン」と過ごすという。

 歌、ダンス、芝居とすべてが凝縮されているミュージカルには10代のころから憧れていた。

 「稽古でやるべきことをやったうえでの話ですけど、100回のリハーサルより1回の本番(の効果が大きい)。舞台ってナマモノですからね。いつもと違う形で飛んできたセリフを受けて芝居する。そこが舞台の面白いとこ、ですね」

 伏し目がちだった堂本光一の視線は、いつの間にか記者を直視していた。

 「その日にしか生まれない、その日の空間。すべてのお客さまを満足させるのは難しいことだけど、お金を払って足を運んでいただくお客さまの1人でも多くの期待を裏切らない気持ちでいようと思います。常にそのときを全力であること。10年後の自分? 考えてもいませんよ」

ペン・栗原智恵子

カメラ・今野顕

プロフィール 堂本光一(どうもと・こういち)1979年1月1日生まれ、31歳。兵庫県芦屋市出身。92年、奈良県出身の堂本剛とグループを結成。翌年、グループ名「KinKi Kids」発表。93年に初舞台。99年、「MASK」で初主演。公演中の「Endless SHOCK」(2月14日−3月30日、7月4−31日)は100公演を予定している。歌手としては、97年にシングル「硝子の少年」、アルバム「A album」の同時発売でデビュー。以来、29作連続でオリコンシングルチャート初登場1位を更新中。2006年にはソロデビューした。

堂本光一
 

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