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【安藤幸代】フジテレビで女子アナ修行! 宮里藍の米ツアー密着

2010.03.01


安藤幸代【拡大】

 宮里藍の米ツアー挑戦を1406日にわたって密着。その日々をつづった「最高の涙」(幻冬舎)を書き下ろした。

 今季米ツアー参戦5年目の宮里は、開幕戦のホンダLPGAから2連勝、ツアー3勝目をあげ、賞金女王にも期待がかかる。そんなスーパースターの成長物語の一方、新鮮だったのが、同時進行で描かれる著者自身の姿。普通の女性が人生や結婚に悩みながらも仕事に奮闘するさまを素直に著している。

 「30歳を過ぎて結婚もしないで仕事ばかりしている娘がいったい何を考えているのか…。そんなところが気になるのか、高校生の娘さんに買うという方がいたり、卒業生の女の子にプレゼントしたいと言ってくださった高校の先生がいたのは本当にうれしかった」

 昨年8月、宮里はエビアンマスターズで悲願の米ツアー初優勝を果たしたが、優勝インタビューでは不覚にも“主役”より先に泣いてしまった。

 「最低だと思います。私が泣いちゃいけないのは重々承知しています。『安藤さん』って(カメラを)振られたらちゃんとやろうと思って整えていたんですけど、『おめでとうございます』って言った瞬間、(涙が)ダーッと…。止められなかったんです」

 涙もろいのは父親譲りで「父は『泣けた』と言って、私の本を近所の書店で買い占めてくれたみたいです」。そう話すそばから、うるうると涙腺がゆるんでくる。

 小さい時から人前で話すのが苦手でアナウンサーになれるとは思ってもいなかった。ところが、記念受験したフジテレビのアナウンサー試験に不合格となった後、グループ会社の共同テレビに採用された。同期は同じ敗者復活で入社した滝川クリステルと相川梨絵。3年間の研修を行ったフジテレビのアナウンス室の同期には千野志麻、政井マヤ、梅津弥英子がいた。華やかな同期に囲まれ、当時は「なんだか気後れしていた」という。

 「自分とは明らかにキャラクターが違ったし、それぞれ得意分野もあったので、個人に対する嫉妬とかはありませんでした。でも入社2カ月で担当を任される子が出た時は焦った。私は担当を持つのが遅かったし、やっていけるのかという不安は常にありました」

 そんな研修期間に出合ったのがゴルフ中継のラウンドリポーターの仕事。大学のゴルフ部に所属していたこともあり、ここにアナウンサーとして生きる道を見いだした。

 宮里の米ツアー密着といっても、日本でフジテレビのゴルフ中継がある週はリポーターの仕事のため帰国する。それが終わると、また米国へとんぼ返り。1泊3日の米国弾丸取材もあった。1年の大半を海外で過ごす日々。宮里がスランプに陥った2年目が終わったときには、自分もすっかり疲れ果てていた。

 「藍ちゃんのスランプと一緒に私もズドーンと重くなってしまって。勝ってほしいと入れ込み過ぎていたんでしょう。その時期は結婚、出産する友達をうらやましく思ったり、自分の体力に自信が持てなかったりと、普段なら悩まないようなことで悩んで3年目のツアー取材は迷いました」

 高校時代の宮里を初めて見たときから「この子はすごい選手になる」と直感して密着してきたが、「ずっとべったりしていることに、正直イヤだと思うことも藍ちゃんにはあったと思う。それでも、苦しい時代を見ていたことが私に対する壁をなくしてくれたのかもしれません。私は勝手に妹のように見ていましたが、もう妹って感じじゃないですよね」。

 昨年秋、書き上げた原稿を宮里に渡して帰国すると、「自分のことなのに一気に読んじゃいました。いろいろありましたね〜。自分で自分が懐かしかった」とすぐに宮里からメールが届いたという。

 宮里に教えられたことは「自分の信じた道を進むしかない」ということ。

 「藍ちゃんは、そのお手本のような人ですから。いくら好きなことでも、なかなか頑張れないときはあります。優勝できるかなんて誰にもわからないけど、人に何を言われても納得いくまでやるしかない。私は藍ちゃんに引っ張られていた感じです」

ペン/菊地麻見

カメラ/中鉢久美子

プロフィール 安藤幸代(あんどう・ゆきよ) 1977年10月17日生まれ、32歳。東京都出身。東洋英和女学院大学卒業後の2000年、アナウンサーとして共同テレビに入社。フジテレビアナウンス室に出向し、「めざまし天気」「すぽると!」などを担当。06年から米ツアーの宮里藍に密着取材を開始。08年、共同テレビを退社し、フリーアナウンサーに。女子アナの同期6人とは昨年10月、4年ぶりに全員で会った。「子供を産んでいる子が半分、結婚していないのが半分。『もっと恋愛しなよ〜』とか、『今しか遊べないよ〜』とか、たわいのない話をしましたね」
オフィシャルブログ

 

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