ぴいぷる

【中居正広】人として役者として“味”を引き出す

2011.01.04

 何ごとにも“初め”がある。初めの一歩を踏み出さなければ、その先に進むことはできない。彼にとって、“初め”の主演ドラマは、若き料理人の成長を描いた1995年の「味いちもんめ」(テレビ朝日系)だった。

 「前回のスペシャル(特番)から数えると12年ぶりでしたが、撮影は楽しい、愉しいの両方でした。他のドラマにはないものがありますからね」

 初主演ドラマへの思い入れはひとしお。けれど16年前、出演を承諾するまでは、なかなか踏ん切りがつかなかった。

 「ドラマに苦手意識があった。1週間に5日間くらい朝から晩まで拘束されるとも聞いていましたしね」

 すでにドラマ主演を果たしていたSMAPの他のメンバーからは、主演者がいかに大変かをイヤというほど聞かされていた。だから、ドラマ関係者がライブ会場にまで押しかけきても「会ってお話をしたら断れなくなるから、軽〜く無視」とつれない対応に終始。さすがに、事務所の関係者からは「挨拶もしないなんて、社会人としておかしい」と注意を受けたという。

 だが、その後もさまざまな理由(難癖?)をつけて出演をごねた。見かねた関係者の「気楽(な気持ち)でいいんじゃないの」という一言でようやく決断したが、いざフタを開けると平均視聴率は16・0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同)。翌年のシリーズ2弾では18・1%を記録した。主人公が店の親方らに見守られて成長していくように、自身も共演者からドラマの心構えを叩き込まれた。

 「パート2のときでした。台本読みで今井(雅之)さんから『声がちっちぇんだよ。こらぁ。ちゃんとやれよ』って隣の席から怒られたんです。時間の使い方、先輩との接し方含めて全部、『味いちもんめ』で教わりました」

 ドラマや映画など、俳優をするときはすべてを監督に委ねる。その姿勢は幼いころの名残。野球少年時代はチームの監督、バスケットをしていた中学生のときは顧問の先生。芸能界へ足を踏み入れてからは、所属事務所のジャニー喜多川社長の教えに従ってきた。

 「駆け出しのころ、先輩のコンサートでSMAPの時間を1曲分の3分半もらえたんです。そこで自己紹介をしたうえで木村くんが舞台、稲垣君がドラマをやります…と宣伝をする。でも15、6歳のころですから、うまく話すことができず、他のメンバーはずっと立ちっぱなし。ジャニーさんには『最悪。先輩のファンの人が1人でもSMAPを応援してあげたいと思うようなトークをしなさい』と言われてね」

 喜多川氏は叱りながらも、スラスラと紙にメモを書き、彼に渡した。

 「メモには木村くんの舞台名と劇場名、稲垣くんのドラマのタイトルと放送局が書いてありました。一生懸命覚えましたよ。これを覚えることで、ちゃんとできるんだと思って。それからですね、書くことが癖になったのは」

 よどまず、寸分も狂うことのないトークを連発する裏には、ステージで棒立ちになった“あの日”の体験がある。

 「ジャニーさんのひと言、ひと言を全部拾い上げたんです。ポイントしか言ってくれませんから、ひとつ言われたことを死ぬほど考えて勉強しました」

 以後は、あらゆる人が先生になった。

 「自分の置かれている立場や、やらなきゃいけないことを必ず考えます。映画やドラマは監督が絶対。ぼくがお芝居をするときのルールですね」

 15年前に見習いだった主人公は今回、「ドラマスペシャル 味いちもんめ」(8日午後9時)で立板に成長。同じように、彼自身もキャリアを積み重ねてきた。その過程で悟ったことがある。

 「前に進むためには許しが必要。意見が違ったとき、自分が正しい、通したいと思うから衝突する。でも、自分が悪いこともあるし、相手が悪いこともある。許してもらわないと、ぼくは前に進めないし、許さないと相手も前に進めない」

 不惑を目前にした男の、頼もしい言葉だった。

 ペン・栗原智恵子 カメラ・寺河内美奈

中居正広(なかい・まさひろ)1972年8月18日、神奈川県生まれ、38歳。87年、スケートボーイズに選ばれ、翌年、その中の6人でSMAPを結成。91年、「Can’t Stop!! −LOVING−」でCDデビュー、今年は20周年の節目の年。「らいおんハート」「世界に一つだけの花」「Dear WOMAN」「ありがとう」などヒット曲多数。映画は93年の「プライベート・レッスン」を皮切りに、「シュート!」「模倣犯」「私は貝になりたい」などに主演。NHK紅白歌合戦の司会や五輪のメーンキャスターなど、安定した司会者ぶりでも知られる。

 

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