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【ヤン・ヨンヒ】北朝鮮にいる姪っ子を10年以上追いかけた「愛しのソナ」

2011.04.19


ヤン・ヨンヒ【拡大】

 忘れたくても忘れられない光景がある。

 1972年、新潟港。まだ10代だった3人の兄たちが、帰国事業によって北朝鮮へ渡った。在日コリアンへの差別もなく、大学までタダで進学できるというふれ込みの「地上の楽園」へ行くんだ、と信じていた。岸壁は見送りの人々であふれ、マンセー(万歳)、マンセーの声が響きわたっていた…。

 「6歳だった私は両親とともに日本に残りました。兄たちともう会えないと思うと、さびしくて、悲しくて。そのときの光景は『絵』となってはっきりと覚えています。いまだにトラウマになっていますね」

 父親(2009年死去)は金日成・金正日父子に忠誠を誓う“スジ金入り”の活動家で、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の幹部。母親も父親を助けるように、総連の活動に就いた。その環境に違和感を覚えながらも愛しい家族が生活する北朝鮮のピョンヤンをたびたび訪問。カメラを回し、“家族の物語”を撮り続けてきた。

 その父親との葛藤を描き、世界の映画賞をかっさらった『ディア・ピョンヤン』(2006年公開)から5年。最新作は、とてもチャーミングなめいっ子(次兄の娘)を、10年以上にわたってカメラで追い続けたドキュメンタリー『愛しのソナ』である。

 「“親ばか”ならぬ“叔母ばか”ですね。ソナのことがかわいくて、ずっと彼女を主人公にした作品を作りたいと思っていたんです。ピョンヤンへ行くたびに映像を撮りためました。本当は(現在、大学2年生の)ソナが結婚して、子供を産んで、というところまで撮りたかったんですが、事情が変わってしまったので…」

 これには説明がいる。前作『ディア・ピョンヤン』公開後、ヤンさんは北朝鮮へ入国できなくなり、謝罪文を書くことまで求められた。映画の中に、帰国事業などを批判したととれる部分があったためである。

 「謝罪文を書くつもりはありませんし、これからも作品は撮り続けていく。だから『愛しのソナ』は私なりの“回答”なんですよ。私は、北朝鮮や総連を批判するつもりもありません。これは『家族の物語』です。家族から『撮るな』と言われるなら分かりますが、組織がこんな対応(入国禁止など)を取るのはおかしいでしょ」

 その言葉通り、『愛しのソナ』で映し出されるのは、北朝鮮のごく普通の家族の日常である。ボウリングに興じ、ホーム・パーティーを楽しむ。アイスクリームをほおばり、たわいもない会話が交わされる…。日本人の生活と、どこが違うというのだろうか。

 「もちろん、この国ゆえの不便さはあるし、経済格差も大きい。兄たちがそれなりの生活ができるのは『日本からの仕送りがあるから』といった事情もあります。ただね、日本で流される北朝鮮の映像といったら極端で画一的なものばかり。そこに“普通の家族の暮らし”があることも知ってほしいんですよ」

 入国禁止になってから兄たちやソナには会えない日々が続いている。いまはコレクト・コールでかかってくる電話や手紙だけがコミュニケーションの手段。北朝鮮で最高峰の金日成総合大学英文科に通うソナだが、ヤンさんとの会話は、“イマドキの女の子”と変わりがない。「私の恋愛の失敗談やファッション、化粧の話ばかりですね」と苦笑する。

 2年前には、父親が亡くなり、鬱病を患っていた北朝鮮の長兄も亡くすという不幸が重なった。新たな作品を発表することで、北朝鮮の家族の立場が悪くなるのではないかとの心配もあるが、やめるつもりはない。

 「(兄たちには)こんな妹で申し訳ない、というしかありません(苦笑)。母からもたびたび『なぜ大きなもの(北朝鮮や総連のこと)に逆らうの』って言われました。けれど、ちゃんと説明したら、10秒ぐらい沈黙の後に『よっしゃ、身体だけは気いつけや』って。(板挟みの)母が一番つらいはずなのに…、うれしかったですね」

 ソナとも、また会える日が必ずやってくると信じている。「愛する家族」なのだから。(ペン・大谷順 カメラ・瀧誠四郎)

プロフィール ヤン・ヨンヒ(梁英姫) 大阪市出身。在日コリアン2世。朝鮮大学校卒業後、教師、劇団女優、ラジオ・パーソナリティーとして活躍。1995年からドキュメンタリーを主体とした映像作品を発表。2006年、家族を撮った長編ドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』でベルリン国際映画祭最優秀アジア賞などを受賞。最新作『愛しのソナ』は東京・中野の「ポレポレ東中野」で公開中。23日からは「新宿K’s cinema」で公開。

 

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