《国語はすべての教科の基本です。“学ぶ力の背骨”なんです》
詰め込み教育による、身につかない学力、その反対に、ゆとり教育による学力の低下など、さまざまな問題が教育界で起きている今、話題の本がある。「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」。本の主人公は、灘中・高校で伝説の国語教師といわれた橋本武氏。現役時代、髪型と輪郭が当時のエチオピア皇太子に似ていたので、通称・エチ先生だ。
エチ先生は今年で99歳。1962年に教え子の52人を京都大学に合格させ、灘高校は京大合格者数日本一の快挙を達成した。68年には132人が東京大学に合格し、私立初の東大合格者数日本一となった。当時の生徒たちは受験を「へっちゃら」だと思っていたそうだ。
「授業で水準以上のことをやっていたので、生徒たちに心のゆとりがあったのだと思います。これこそ本当の“ゆとり教育”ですね」とエチ先生は愉快そうに笑う。
教え子たちは難関校に合格するだけではなく、その後、東大総長、最高裁事務総長、県知事などになって活躍している。その原動力となったのは、驚くべき内容の授業だ。
エチ先生は、授業で教科書を一切使わず、1冊の薄い文庫本「銀の匙」(中勘助著)を3年間かけて読み込んでいった。一言一句を丁寧に読み解き、主人公と同じ気持ちになるように、小説に出てくる駄菓子を教室で食べたりもした。
「生徒たちが勉強をやらされていると思わないで、自然に力がつくように工夫をしました」
授業では毎回、エチ先生お手製のガリ刷りのプリントが配られた。そこには、生徒たちの抱く疑問にピンポイントに応え、「銀の匙」を身近な話として読み進めるヒントがちりばめられていた。プリントは生徒たちに大変人気があったようだ。
「プリントを抱えて教室に入っていったら、拍手で迎えてくれる生徒までいました」
その結果、教え子たちに行った「国語は好きか?」というアンケートで「好き」と答えた生徒は、95%にもなった。それに伴い生徒たちの学力も伸びた。まさに“好きこそ物の上手なれ”だ。
授業で「銀の匙」を3年かけて読み込ませたのには、理由があった。本物=質の高いものを徹底的に吸収することが、その後の基礎を作るという考えからだ。それにより、観察力、判断力、推理力のほか、分からないことを調べるというタフさなどを身につけることができた。「奇跡の教室」で、エチ先生はこんなことを言っている。
《すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなります。(中略)少しでも興味をもったことから気持ちを起こして、どんどん自分を掘り下げて欲しい。(中略)そうやって自分で見つけたことは、君たちの一生の財産になります》
エチ先生は34年に東京高等師範学校を卒業し、同年、旧制灘中学校の国語の教師となった。初代校長の眞田範衛氏に「公立中学にはできない面白いことが、ここなら自由にできます」と言われ、やる気になった。教師になったことで、エチ先生も学んだことがある。
「相手の気持ちになって行動することの習慣がつきましたね。教育とは、生徒たちとのコミュニケーションと信頼関係がとても大切なんです」
だからこそ、今の教育に対しては、疑問に思うことも多々あるようだ。
「今の先生たちは『残業代よこせ』などと、労働者意識が強くなってきていますね。教師とは人間を育てる“聖なる仕事”だという気持ちがなくなってきています」
子供を持つ親に対して、アドバイスもある。
「子供をかまいすぎないほうがいいですね。子供には子供の自由があるので、したいことをやらせたほうがいい。成績が悪くても、卒業後に伸びる子もいるので、長い目で見たほうがいいです」
教え子たちが今も活躍し続けているのは、エチ先生の“長い目で見る教育”の賜物なのだろう。ちなみに、エチ先生自身も自分の本を読んで思ったことがあるという。
「自分の授業が生徒たちにどのように受け止められていたのかを確認できてうれしい。本が出る前に死んでいたら、『良かった』と言われても、あの世では分からないですしね。長生きでよかった」
これからもずっとお元気で!(ペン・加藤弓子)
■はしもと・たけし 1912年7月11日生まれ、99歳。京都府出身。34年に東京高等師範学校を卒業。同年、旧制灘中学校の国語教師となる。戦後、「銀の匙」を3年かけて読みこむ授業を始め、公立高のすべり止めだった灘高校を一躍、東大合格日本一に導く。50年間、教壇に立ち続け、84年に退職。橋本先生と元教え子たちを取材した「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」(小学館)が話題を呼んでいる。


