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【入川保則】“余命半年”で延命拒否…心に去来するもの

2011.11.17


入川保則【拡大】

 今年3月、末期の直腸がんで「余命半年」と宣告されたことを公表。延命治療を拒否したことで話題を呼び、その後、遺言ともいえる著書『その時は、笑ってさよなら』『自主葬のすすめ』(ともにワニブックス刊)を立て続けに出版した。いまは“終の棲家”と決めた神奈川県厚木市の病院に入院中だが10日には72歳の誕生日を迎え、「生きていてよかったぁ。子供や孫たちからもお祝いメールがきました」と喜びをかみしめる。

 実は、この日は「死ぬ日として予約しておきたい」とインタビュー時に話していた日だった。

 「11月10日まで生きたいなあ。72歳。2・7(ニシチ)の株まで生きたいんですよ。(おいちょ株で)だれにも負けないじゃないですか。その日に青酸カリか何か点滴できないかなあ、と言ったら医者が“死亡時期まで決めるなよ”と笑っていました」

 俳優人生を振り返って、「30代で酒、40代で女に溺れ、50代で“鳴かず飛ばず”、60代でやっと花開いた」と話す。

 若い頃の酒は豪快だった。

 「風呂につかるぐらい飲みました。小林旭さんと2人でヘネシーのVSOPのロックをサシで飲み合ったことがありましたなあ。夕方の5時から翌朝の7時半まで。7本半飲んで2人ともぶっ倒れました。あの時死んでもおかしくなかった。“三日酔い”しましたが、4日目から飲んでましたね。ワッハッハ」

 バツ3で、2度目の妻との間に娘が2人、3度目の妻である女優のホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。入院直前まで独り暮らしだった。

 「こんな楽はない。女性には気を使います。80歳のおばあちゃんにも緊張する。女は怖い。怖いもの見たさで付き合った時期もありましたが、我(が)が強いんですかね。自分と結婚しているようなものでした」

 名脇役として若いころから映画、ドラマ、舞台と活躍してきた印象があるが、ご当人は“遅咲き”を自任する。

 「僕の役者としてのピークは65、66、67の3年間。70代になってカタンと落ちた。なんで(延命)拒否したかというと、芸ができなくなったら体があってもしようがない、と思ったから。直腸がんというのは幸い痛みがない。徐々に死ぬ準備ができて天の恵みだと思っています」

 死への恐怖は「ほとんどない」と言う。「葬式代はある。たいした財産もないから争いもない。虚無です。もともと何も無いところから来て、苦があって、それが楽にかわっていく道中が人生。いまが気楽です」

 ハッとしたのは、今のサラリーマンをどう思うか尋ねた時だ。

 「通勤電車を見ていると“死んだ目”の人が多くて気の毒。映画の役作りで絞られたので、人を観察するのが趣味なんですが、昔は目つきを見れば“この人は大志を抱いているな”“こりゃ酒飲みの顔だな”と分かった。今はマネキンに押されて乗っている。おとなしすぎます。なぜ意欲的になれないのか。国の方向づけがうまくいってないのなら、100万人で国会議事堂を取り囲んで『ふんどし締め直せよ!』とひとこと言うだけで、政治家の顔色も変わるでしょう。選んだのは我々ですから」

 いま病院のベッドでは消灯の後、こっそり日本酒をたしなんでいるという。“最期の晩餐”は何を飲みたいですか?

 「山形(酒田)の『麓井(ふもとい)』という酒がうまいんですよ。二十数年前に雑誌のインタビュアーをやったとき、日本酒のソムリエに聞いた、奥が深い酒でね。新鮮なウニをイカの糸づくりの上にシュッとのせて、キンと冷えた麓井を…。ときどき氷水で口を洗いながら飲んで、あの世にいきたいですなあ。話しただけでツバが出てきた…」

 この気力。まだまだ生き抜く気がしてならない。     

(ペン・中本裕己 カメラ・野村成次)

 ■いりかわ・やすのり 1939年11月10日生まれ。兵庫県出身。「水戸黄門」「部長刑事」など時代劇、刑事ドラマの名脇役として鳴らす。NHK大河ドラマは「太閤記」「徳川家康」など8本に出演。遺作と銘打っている主演映画「ビターコーヒーライフ」は来年5月公開。

 近著『自主葬のすすめ』では、「家族に迷惑をかけたくない」「義理の参列を強いたくない」という人に向けて、45万円、30分で終わる事前予約の“自主葬”のコツを伝授している。

 

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