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【和泉元彌・節子】騒動から10年…伝統文化の伝承に使命

2011.12.21


和泉元彌・節子【拡大】

 伝統芸能の世界にワイドショーが押し寄せたあの騒動からまもなく10年。「和泉流二十世宗家」の理事長と宗家のコンビは、意気揚々と世界を駆け巡っている。存在そのものがエンターテインメントの2人をお招きして近況を伺おうと思ったら、予想通り止まることない話、話、話。例の口調を想像しつつお読みください。

 節子「おかげさまで573年の和泉流宗家の伝統です。ガチャガチャとありましたが、とうの昔に終わりました。ソウケソウケ(宗家宗家)にダブルブッキングの話、そんなのはどこ吹く風。宗家は前向きにマイペースできっちりやっています」

 元彌「つつがなく」

 節子「孫が4人生まれまして、来月で4人目も初舞台を踏みます。産めよ増やせよではございませんが、狂言の伝統を守るためには、続いている血脈と体、体が資本です。孫4人、狂言が大好きでお稽古は喜んでやっております」

 元彌「先代宗家とは師弟関係が親子関係より強かった。私は1歳半の時でも、稽古が嫌で稽古場に行かないことはなかった。今も同じ、父仕込みの厳しい稽古です」

 節子「しっかりと厳しく教えていただかないで大人になったら不幸だと思います。三つ子の魂百まで、と申します」

 元彌「小さいころ、稽古は父の地方公演のときだけ休み。テストがあろうと毎日です。父が亡くなったのが大学在学中で、私が中退すると思う人が多かった。私は『舞台は一流で当たり前。人前に立つ人間になったとき、人並みのことはできる必要があるんじゃないか』という父の思いを知っているので、8年かかって大学を卒業しました」

 節子「東日本大震災で大変な中、頑張って生きている方が大勢いらっしゃる。和泉流573年、その間にたくさんの災難や戦争がありましたが、その中でも残ってきた。私はずうずうしいですけど、600年祭までは生きていたい」

 元彌「今年は(NHK)大河に10年ぶりに出ました。前に出たのが20代半ばですから」

 節子「宗家も10歳、年を取りました。今年は座長公演を3本もやらせてもらいました」

 元彌「この10年、母は自分を押し出すことがうまくなりました」

 節子「『弟子に入れてください』と言っていた人がアンチ宗家になり、『この人は関係ないから出しちゃえ』ということが行われまして…。上が狂えば下まで全部狂います。伝統文化に関わる人は、心を違わずにやっていくと誓いを立ててほしい。宗家は、たった1人、能楽協会から出されたお方です」

 元彌「影響はありませんけど」

 節子「お金が、物があるという問題ではないのです。文化を伝えるのは魂、心意気。それが宗家にかかっています。私どもは、孫の4人を天から下ろしてもらったことが、何よりの財産です」

 元彌「子供をもう1人ですか? 2番目に男の子を授かったので、子供が増えることは悪いことじゃないですけど、1人の跡継ぎを育てるのも大変ですから」

 ポンポンと言葉を紡ぐ母とは対照的に、じっくりと考えて話をする息子。573年の伝統を伝える重責についてどう思うかを尋ねると、意外な言葉を口にした。

 「1人の二十数歳の男が、あれだけ叩かれていたらこの世にいなかったかもしれない。でも自分は、自分の損得や格好良さだけで生きないよう育てられた。狂言を伝えていかないのは、自分の役割を放棄すること。父から受け継いだ芸を次に渡すのが自分の役目なので、もし私が命を粗末にしていたら、思うつぼだったでしょう」

 伝統文化を伝える使命と、ファミリーの結束力。この両輪ある限り、どんな逆風をも突き進むという気迫に満ちていた。(ペン・萩原和也 カメラ・桐山弘太)

 ■いずみ・もとや 狂言師。和泉流二十世宗家。1974年6月4日生まれ、37歳。東京都板橋区出身。青山学院大文学部卒。1歳半から父・元秀に狂言を学び、77年、3歳で初舞台。98年に一子相伝の秘曲「狸腹鼓」を伝えられる。2001年のNHK大河ドラマ「北条時宗」で主演。98年に共演した女優の羽野晶紀と02年2月に入籍。同年4月に長女・采明(あやめ)さん、04年7月に長男・元聖(もときよ)くんが誕生。

 ■いずみ・せつこ 和泉流宗家宗家会理事長、狂言プロデューサー。42年6月11日生まれ、69歳。岐阜県大垣市出身。金城学院中学高校短大卒。夫は狂言和泉流十九世宗家の故・和泉元秀氏。歯に衣着せぬ発言ぶりで有名になり、“セッチー”の呼び名がついた。フジテレビ系「笑っていいとも!」に一時、レギュラー出演。

 

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