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【山崎努】仲人は石原慎太郎氏!元宝塚の妻働かせゴロゴロ

2012.06.07


山崎努【拡大】

 誰もが知る名優は、どのように誕生したのか。1963年の黒澤明監督作品「天国と地獄」で誘拐犯役を演じ、一躍スターダムに躍り出た名優に、しばし思い出話をしてもらった。

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 「天国と地獄で一気に売れ、シンデレラボーイというんでしょうか、ゴールデンボーイとでも言うのかなあ…、一夜にして生活が変わりましたね」

 実感したのは、同じ63年の三船プロ作品「五十万人の遺産」(三船敏郎監督)でフィリピン・ロケに行き、羽田空港に帰国した時だった。

 「カメラマンがバチバチすごいんです。なんじゃこれは、って…。写す対象は三船さんだとばかり思っていたら、実は僕だった。犯人役が話題になっているなんて全然知らないんですよ。フィリピンにいたからね。ああいう経験は面白かったですね」

 複雑な思いも経験した。「タクシーに乗ると、運転手さんが『あんたがあんな映画をやるから、世の中が悪くなるんだ』なんてことを言われてね。役と僕が混同しちゃってんだよね。事実、あの映画の後、誘拐事件も多発したんです」

 「天国と地獄」を皮切りに仕事は殺到。だが、当人は逆に役者の仕事から逃げることにした。

 「この世界、一発当たると仕事がわんさかくるんです。でも、売れた原因は僕の実力じゃない。黒澤監督がうまく撮ってくれたからで、僕の芝居は“からっ下手”。僕自身にはなんの力もないんで、と全部の仕事を断ったんです。充電期間にしよう、とね。とはいえ、食うための最低の仕事はしたんですがね」。そういってニヤリと笑う。

 同じ年、元宝塚の女優、黛ひかるさんと結婚した。「結婚して妻に働かせ、僕は家で寝っころがって読書や、毎日ダラダラ過ごしていた。そう、ヒモみたいにね。ははは」

 黛さんとは石原慎太郎氏が脚本を書いたNHKの「アラスカ物語」(1962−63)で知り合った。「石原さんが『山崎の結婚は俺が仲人なんだよ、俺の作品で知り合ったんだ』って言っているんだけど、あれは本当です。だけど、そのことを石原さんが知っていること自体が僕には意外だった」

 大作家と名優の意外な関係だが、名優は実は作家でもある。『俳優のノート−−凄烈な役作りの記録』(文春文庫)に続き、このほど『柔らかな犀の角』(文藝春秋)を出した。2006年から昨年にかけて「週刊文春」に連載したエッセーをまとめたものだ。

 「『ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに』。これは井上ひさしさんの金言ですが、及ばずながらこれでいきたい」と連載を引き受けたという。

 最近は俳優以外の仕事も増えた。なんと、沖縄「美ら海水族館」の名誉館長でもあるという。

 「『ドルフィンブルー』という映画を5年前に撮ったんです。美ら海水族館の話で、館長の役をさせてもらいました。それが縁で内田詮三館長(昨年退任)やスタッフの方々たちが好きになり、年に1回は水族館に行くようになったんです。行くと『山崎館長』って呼ばれる。やっぱり、こっちも好きだと向こうもなじんでくれるんですねえ」。名誉館長を任命されたのは自然な成り行きだった。

 水族館の話になると、人が変わったような笑顔になった。目を背けてしまいたくなるような恐ろしい表情から、ずっとながめていたい優しい笑顔まで、この人にはいくつもの顔がある。これが名優の顔というものか。(ペン&カメラ・城山仁)

 ■やまざき・つとむ 1936年12月2日、千葉県生まれ、75歳。高校卒業後、俳優座養成所を経て、59年に文学座に入団。60年に三島由紀夫の戯曲「熱帯樹」(初演)でデビュー。同年、『大学の山賊たち』(岡本喜八監督)で映画初出演。63年の「天国と地獄」を機に幅広く活躍、受賞歴も多数。2000年に紫綬褒章、07年に旭日小綬賞を受章。

 

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