ぴいぷる

【吉幾三】貧しさから抜け出すため東京へ!胸に染み入る民謡

2012.06.13


吉幾三【拡大】

 まず質問。「昭和」と聞いて思い浮かべることは?

 「青森の田舎と、ポップコーンの匂い。15歳で上京して、上野駅で嗅いだ匂いですね」

 中学生のとき、民謡歌手の父親に「手っ取り早くもうかるのは何?」と尋ねたそうだ。父は津軽三味線の高橋竹山とともに活動した名人。その父はこう笑い飛ばした。

 「泥棒か歌手だ。ハッ、ハッ!」

 津軽平野のど真ん中、岩木山がみえる真っ青な空の下。9人兄弟の末っ子で「貧しさから抜け出したい」と思う少年は、もはや東京に出て歌手を目指すしかなかった。

 中学を卒業してまもないある日。

 「夜行に乗って、お袋がホームを走って泣いて。遅い春でねぇ、まだチラチラ雪が降っていましたよ。列車では、出稼ぎのオヤジ連中が酒盛りするなか、オレは窓に向かって帽子を下げて、涙をボロボロこぼしてね…」

 やっと着いた上野駅、母に買ってもらった3000円のギターを手に降り立った19番ホーム。待っているはずの姉の姿はなく、不安と孤独感に包まれながら一歩も動けなかった。そのとき、初体験の匂いが鼻をくすぐった。

 「あのときは知らなかったけれど、しばらくして『あれはポップコーンっていうんだ』って分かった」

 故郷の香りを運んだ夜行列車から降り、真っ先に嗅いだのがバターの溶けたあの香り。「今でもポップコーンの匂いで上野駅のことを鮮明に思い出す」。15歳の少年にとって、強烈な「東京の香り」だった。

 今年、カバーアルバムの制作に初めて挑戦した。『旅の宿』(吉田拓郎)、『真夜中のギター』(千賀かほる)、『春夏秋冬』(泉谷しげる)など、昭和生まれの歌を16曲。上野駅のポップコーンと同じく、歌ってみると「あの頃」を瞬時に思い出す曲を中心に集めた。

 『酒場にて』(江利チエミ)は、歌手として売れずにギターの弾き語りでクラブ回りをしていた頃。『神田川』(かぐや姫)は、ちょうど『俺はぜったい!プレスリー』がヒットした頃。『「いちご白書」をもう一度』(バンバン)は、バイト先の大学生がよく口ずさんでいたそうだ。

 なかでも『山谷ブルース』(岡林信康)の記憶は強烈。姉が出稼ぎで働いていた寄宿舎の情景が鮮明に浮かぶという。

 「姉から『ご飯食べにおいで』と誘ってもらい、そこに行くと、食堂にいた男の人たちがすごくデカく見えてね。風呂から出た人がめいめいにビールを飲んだり、日本酒飲んだり…。青森の人もいましたよ。そこで姉が『歌、聞いてやってくんない?』って頼んでくれて。で、ギター弾いて、演歌をね。そしたら、お小遣いをくれるんですよ。こちらが遠慮しても『何いってんだ、いいべ!』って渡してくれて。ありがたかったですね」

 歌は「あの頃」の記憶をよみがえらせてくれる。「それは分かっていたけれど、実際にカバーをやってみて、思った以上に歌の力を感じましたよ」。想像以上の発見だったようだ。

 CDには収録しなかったが、民謡はとりわけ涙腺を緩ませるという。

 「仕事で秋田に行ったとき、秋田民謡の若い歌い手が僕らの席に回ってきたんですよ、三味線持ってね。東京に出る前、田舎での光景を思い出したね。ストーブの前へ座らされて、高橋竹山さんの三味線に合わせておやじが歌うのを聞いた。竹山さんはよく泊まりがけでいらしたんですよ。おやじが肉の料理を振る舞って、『おい竹山、食べろ食べろ』なんて。秋田民謡を聞いたら、あのときのことを思い出して涙がボロボロ出てきちゃった…」

 人それぞれ、胸に染みる歌がある。おやじ、お袋、酒、涙…、歌で思い出す光景もまた、人それぞれだ。(ペン・久保木善浩 カメラ・高橋朋彦)

 ■よし・いくぞう 1952年11月11日、青森県金木町(現・五所川原市)生まれ、59歳。中学卒業後、歌手を目指して上京。72年、山岡英二の名前で「恋人は君ひとり」を歌ってデビュー。当時はアイドルとして売り出された。吉幾三に改名し、77年、自作の「俺はぜったい!プレスリー」がヒット。その後、低迷するも84年、「俺ら東京さ行ぐだ」で再浮上。86年の「雪國」から演歌路線に舵を切り、安定したヒット歌手、ヒットメーカーとなる。

 先月、初のカバーアルバム「あの頃の青春を詩(うた)う」をリリース。1960−70年代のフォークソングなど16曲をまとめた。同時にニューシングル「その昔」を発売した。

 

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