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【小池真理子】「沈黙のひと」で吉川英治文学賞 “人は愛おしい”亡き父と向き合い実感

2013.05.09


小池真理子【拡大】

 閨秀(けいしゅう)、美貌の作家は還暦を迎えてなお美しい。筆者より3歳年上、少し前を歩く作家は、看取りの世代でもある。

 第47回吉川英治文学賞を受賞した『沈黙のひと』(文藝春秋刊)は4年前に85歳で他界した父親をモデルにした。

 物語では、主人公の編集者、衿子(えりこ)を通し、衿子とその母を残して離婚した父・三國泰造が描かれる。新しい家庭で2人の娘をもうけ、妻とは不仲。歌を詠み、女流投稿歌人とも文通を重ねる。やがて難病パーキンソン病に。ワープロを操り衿子とも連絡を取るが、病は進行して、途絶えていく。他界したあと、衿子は遺された手紙類を頼りに父の人生をたどる。

 「本当の父は離婚もしていませんし、これは虚実を織り交ぜたタペストリーなんです。でも、そんな身内をテーマにして小説にするなんて露ほども思っていなかったんですよ」

 ミステリー、サイコサスペンス、恋愛小説とジャンルを拡げてきたが、本書の執筆は意外性と異例の連鎖だった。

 子供の頃、暮らした部屋には天井まで届くほどの書棚があった。

 「ほんとに昔の帝大生で、文学、思想、哲学と今の学生が考えられないぐらい深い学問の道を行っていた人たちですから」

 父親はそうした教養人だったが、妹と遺品整理をしていたとき、段ボール箱を開けて出てきたのはアダルトビデオやらその手の類い。

 「ほんとに笑い転げて、遺品整理の辛さを忘れてしまうほど笑ってしまいました」

 この経験をエッセイにしようと思った。親しい編集者に話すと、返って来た言葉は意外にも「小池さん、なんてもったいない。そんな小説的テーマを見つけたのなら、ぜひぜひ小説にすべきだ」という熱い言葉だった。

 「いつもなら親しい編集者にサジェッションを与えられたときというのは、その場で頭のどこかが反応して、これは行けるな、という本能的な閃きみたいなものがあるわけなんですけど、そのときは全くなかったんです」

 後日、編集者の言葉が作家の魂に火をともした。

 「不思議なことに家に帰って時間が経つにつれて、これは私にとって小説的な企みのある作品ではなく、自分が書き残すべき記録なんじゃないかと思いました」

 かくて始まったオール讀物での連載は、異例な方法となった。

 「プロットとかそういうものはほとんど立てなかったんですよ。ラストシーンも決めていなかったし、こんな風に書いたというのはおよそ初めてのことでした」

 執筆に取りかかる。

 「親のことは振り返らない人生を生きてきたものですから、最後の何年かを立ち会って、父が遺したものを目にして、ほんとに作家としてひとりの娘として思うこと感じることがまさに洪水のようにあふれてきたんです。自分でも収拾がつかないような感情の群れみたいなものをなにか形にしないと自分自身が救われないというところまで行ってしまいました」

 ワープロで書かれた手紙の下書き、会社員時代の手帳、父親が遺した「文字」や「言葉」を傍らに置き読み返した。

 「泣いたこともあります。父の85年の歳月が一挙に私の中に再現されるわけです。それを受け取って自分や母と照らし合わせたり、あるいは人が生きて死んでいくとはこういうことかということも含めて、ものすごく深淵な穴を覗き込んでいる感じになってしまったからなんです」

 受賞の発表があった3月4日は、父の命日だった。

 「びっくりしました。ほんとに不思議でしたね」

 贈呈式後のパーティーでも、作品に共感する言葉が寄せられた。

 「ごく個人的なことを書いたつもりでいたのが、普遍性があることだったんだなと思いました」

 そして、こうも言う。

 「人間はそれぞれにかけがえのない時間があって、それに気がついたり気がつかなかったりしながら一生を終えていく。そのことを一歩下がってみると、私は愛おしく見えるんです。地獄を見ている人も愛おしいし、これから地獄を迎えようとする人も愛おしい、そこに関わっている人も愛おしい。それが人間だなって言うのが、今の私、60歳の実感です。年を取るに従っていろんな難しい問題も出るんでしょうけど、そういう見方をすることによって、自分を救うし、周りの人間を救うのではないでしょうか」 (ペン・竹縄昌 カメラ・財満朝則)

 ■こいけ・まりこ 作家。1952年10月28日生まれ、60歳。東京都出身。成蹊大文学部卒業。

 25歳で発表したエッセイ『知的悪女のすすめ』でタレント扱いされ、メディアに失望。30歳を過ぎて念願の小説家デビューした。89年『妻の女友達』で第42回日本推理作家協会賞短編部門受賞を皮切りに、96年『恋』で第114回直木賞、98年『欲望』で第5回島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で第19回柴田錬三郎賞、『無花果の森』で11年度文化庁芸術選奨文部科学大臣賞と多数の受賞作がある。

 夫で直木賞作家の藤田宜永氏(63)と長野県軽井沢町に暮らす。

 本書では父・清泰さんの朝日歌壇入選の歌を冒頭に掲げた。

 《プーシュキンを隠し持ちたる学徒兵を見逃せし中尉の瞳を忘れず》

 

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