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【坂田利夫】芸能生活50周年 感謝を込めて「アホ芸」届けまっせ! (1/2ページ)

2014.12.04


坂田利夫【拡大】

 関西人が親しみを込めて放つ「アホ」という称号を冠にいただきながら歩んだ芸能生活は、今年で50周年を迎えた。

 「お笑いが好きだからこそ今の坂田がある。人間は夢中になれるものを一つ見つければ、つらいことも嫌なことも辛抱できる。僕は運良く見つけられました」

 大阪生まれの大阪育ち。少年時代から人を笑わせることが好きだった。高校卒業後はネジ工場やガス会社と職を転々とするも性に合わず、ふらっと入った喫茶店のテレビで吉本新喜劇の座員募集を知り応募。倍率100倍のオーディションで合格した。

 「後で聞いたら、ほんまは落ちてたんやけど、花菱アチャコ先生が『この子は落とさんといたれ。なんか持ってる』と言ってくれたそうです。ありがたい話です」

 新喜劇で出会った先輩座員の西川きよし・ヘレン夫妻とは下積み時代から苦楽をともにする。

 「3人とも給料が安かった時代に、ヘレンさんがイニシャルを入れた3人分のネックレスをつくってくれました。『苦しくなったらこれを握りしめて頑張ろうな』と。今でも大切に持ってます」

 西川の勧めで座員の前田五郎と組んだコンビ「コメディNo.1」の漫才は賞レースで評価されたが、何より世間をにぎわしたのはアホ芸。舞台で前田の「アホか!」というツッコミにアドリブで「うん、アホや」と答えたのが受け、自称するようになった。

 キダ・タローさんが作曲した「アホの坂田のテーマ」もレコードで発売され大ヒット。大阪府教育委員会から「坂田姓の子供がいじめられる」と苦情が寄せられ、廃盤になるほどの反響があった。

 「つらい時もあるんでっせ。お袋を食事に連れて行ったときに、高校生の団体が僕を見て『アホや、アホや』と絶叫したんですよ。お袋が『やめてください、仕事でやってるんです』とお願いする姿を見て胸が痛かった」

 そんな時に救われたのがアホ役を極めた天才喜劇役者、藤山寛美さんの言葉だった。

 「『アホは悪人にはできん。恥ずかしがらずに胸を張れ』と。僕と(間)寛平ちゃんとで『浪速アホ3人男で芝居やりたいな』とも言ってくれた。名誉なことですよ。寛美さんが亡くなって実現できなかったのが残念です」

 先人から受けた恩を後輩に返すことも忘れず、若手芸人たちを食事に連れて行くことはしょっちゅう。明石家さんまは坂田を「師匠」ではなく親しみを込めて「兄(にい)さん」と呼ぶ。

 

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