4年ごとにモスクワで開かれるチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、2002年に第1位を獲得した。あれから12年、日本が世界に誇る逸材は3児の母になっていた。
「上から8歳と5歳と4歳。みんな女の子で、バレエを習わせています。上の子が一緒に踊りたがって、私に(男役の)リフトをせがむんですよ。おかげで、チャイコフスキーの良さを再認識しました」
小柄な外見が舞台ではひとまわり大きく見える。エネルギッシュな演奏スタイルには定評がある。目の前で見せていただいた指は、細く、たおやか。インタビュー前夜には、楽譜の音が膨大で複雑なラフマニノフの協奏曲第2番を弾いてきたばかりだった。
「指はすべての鍵盤に届くのですが、変な音が入らないように指をばらしたり、手の全体を使います。ロシア人のように手が大きい人がうらやましくもありましたが、太い指だと他の音をさわってしまう悩みもあるかもしれませんね」
独自の道を切り拓き、世界の頂点を極めた後にピアノ調律師と結婚。出産、子育て、家事に追われながらピアニストを続けてきた。
「ケガには気を付けていますが、冬は洗い物で手が荒れて、血が出てあかぎれになったこともあります。練習時間は、子供たちを学校や保育園に送り出したあとの5〜6時間ぐらいですね」
新譜CD「上原彩子のくるみ割り人形」は、有名なチャイコフスキーのバレエ音楽を全14曲のピアノ版にまとめ、うち半分の編曲を手掛けた労作だ。
「子供がいなければ生まれなかった企画です。絵とともにピアノを弾きながら、語り聞かせるコンサートをやりたかったんです。チャイコフスキーの良さは、音楽だけを聴いてもまるで舞台を見ているように情景が思い浮かぶところ。それを感じていただけたらうれしいです」
自身が子供のころは、3歳児のコースからヤマハ音楽教室に入会。「ピアノしか知らなかった」というほど音楽漬けだった。
「レッスンから帰ると、ピアノの経験がある母による厳しいおさらいと予習が待っていました。(小学校)4年生からは、ヤマハのマスタークラスに移り、当時暮らしていた岐阜から東京へ独りで通いました。モスクワ音楽院から年に3回ほど指導に来られるヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生に付いて、ピアノの奥深い楽しさを学びました」
ピアノだけでなくタンバリンを叩いたり、踊ったりといった言わば“お稽古”の音楽教室から着実に力をつけステップアップ。世界が認めるトップクラスのプロになった。持ち味は、どこにあったのだろうか。
「コンクールのときにお褒めをいただいたのは、ショスタコーヴィチやパガニーニの攻撃的な曲です。脇目をふらず、ガンガン行く。脇目をふると間違えるからなんですけど(笑)。10代でしかできない。それはそれで良かったと思います」
彼女の代名詞でもあるチャイコフスキーの協奏曲は、コンサートで何百回も披露してきた。マンネリにならないのだろうか。
「毎回、ひとつでも新しい発見がないと私は弾けない。オーケストラと一緒に、本番でどれだけ新しいものを作れるかが大切なんです。プレッシャーは感じませんね」
目下、取り組んでいるのは、作曲家が生きていた頃の古楽器奏法を取り入れたスタイル。モーツァルトに息を吹き込む。
「リズムはしっかり保ちつつ、音符の中から読み取った自由な感情表現ができます。すごく面白いですよ。これからは、自分だけにしかできない音楽を探していかなければいけない年だと思っています」
テクニックと攻撃性に円熟味が加わり、ますます楽しみだ。 (ペン・中本裕己 カメラ・寺河内美奈)
■うえはら・あやこ ピアニスト。1980年7月30日生まれ、34歳。香川県出身。3歳児のコースからヤマハ音楽教室に入会。2002年、第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で、女性として史上初、日本人としてもピアノ部門で初の第1位に輝く。
2003年にベルリン放送交響楽団と、翌年にはモスクワ放送交響楽団と日本ツアーを行い高い評価を得るなど、国内外で活躍。アルバム「上原彩子のくるみ割り人形」(キング)には、ほかに隠れた名曲であるチャイコフスキーの「18の小品」から「子守歌」「田舎のひびき」など4曲も収録する。
6日=フレッシュ名曲コンサート、モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」(東京・新宿文化センター)、8日=ピアノリサイタル(東京・オリンパスホール八王子)、14日=上原彩子の「くるみ割り人形」(神奈川・鎌倉芸術館大ホール)に続き、20日にはベトナム・ハノイで公演。