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【定年後の居場所】人生の最期をどう迎えるか 家族や周囲の人との話し合いを忘れずに

 東京都福生市の公立病院で人工透析を中止した患者が死亡した問題は、専門家の調査結果を待つ必要があるが、人工透析だけではなく、回復が見通せないにもかかわらず長期に治療が続く場合も少なくない。その際、人生の最期をどのように迎えるかの判断を迫られる場面は、本人にも家族にも訪れる可能性がある。

 「早く病院に来て!」と母から電話を受けて、仕事場から病院に到着すると、戸惑った様子の母が病室の前で待ち受けていた。長く入院していた父はすでに意識はなく、口を開けて天井の一点を見つめるかのようにあおむけにベッドに寝ていた。

 母は延命のために喉から胸を切開する手術をするかどうかを主治医から問われていた。「自然な処置で結構です」と私は答えた。父の生前の気持ちを推測できたからだ。20年ほど前のことである。

 最近の親族のケースでは、亡くなる2カ月ほど前に、主治医からどの範囲の延命治療を施すかを確認されて、その内容を書面で提出した。

 厚生労働省が2007年に出した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(指針)」では、患者本人の意思の尊重を基本にして、医療・ケアチームによって医療の内容が医学的に妥当で適切かを慎重に判断する、などと規定している。これらによって、きめ細かな対応が進んでいるのだろう。

 文化人類学者の原ひろ子さんが書いた『ヘヤー・インディアンとその世界』(平凡社)という書籍がある。カナダの北極線上に生きるヘヤー・インディアンの生活に飛び込んだ著者の迫力あるフィールド・ワークである。

 彼らは、自分にとっての「守護霊」をもっていて、いつも守護霊と交信している。そして守護霊が「生きよ」と言っている間は生への意志を捨てない。しかし守護霊が「お前はもう死ぬぞ」と言うと、あっさりと生への執着を棄ててしまう。

 本の中に登場する50歳のチャーニーは熱が何日間か続いた。白人の看護師は、すぐに治るでしょうと言っていたが、彼の守護霊が「お前はもう死ぬぞ」と告げて、親族や知人たちが知らせを聞いて駆けつけてくる。チャーニーは彼らに対して自分の思い出話をずっと語りだして、ときおり紅茶を一口だけすすり、絶食して死を待つ。そして彼は翌日の未明に息を引き取った。

 その際に、彼らにとって最も大事なことは、良い死に顔をして死ねるかどうかなのである。良い死に顔をして死んだ者の霊魂は、再びこの世に生まれるべく旅に着くと考えられているからだそうだ。

 もちろん現在の日本人がそのまま同じようなことはできない。しかし人生の終わりは誰にでもやってくる。「守護霊」の存在を信じて、自らの命を自分でコントロールしようとする姿勢が羨(うらや)ましいとさえ思える。

 やはり一人ひとりが、日ごろから自らの最期の迎え方について主体的に想定しておくことだ。そして家族を含め周囲と話し合うことの大切さを常に忘れてはならないのではないか。

 ■楠木新(くすのき・あらた) 1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。50歳から勤務と並行して取材、執筆に取り組む。2015年3月、定年退職。現在、神戸松蔭女子学院大学教授。人事・キャリアコンサルタント。25万部を超えるベストセラーになった『定年後』(中公新書)など著書多数。19年2月に『会社に使われる人 会社を使う人』(角川新書)を出版。

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