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【新書のきゅうしょ】より強化する「タコツボ文化」 丸山真男著「日本の思想」(岩波新書・1961年)

 初めて丸山真男著「日本の思想」を手に取ったのは、1970年代中盤、高校生の頃だった。碩学の、高尚な書名に有難みを感じ、読了しただけで何事かを成し遂げたような気になったもの。因みに、角川文庫が森村誠一の「人間の証明」で、映画・テレビCMと連動したマス・エンタメ商法を徹底し始めるのが1977年だからその直前。「知の権威」という言葉の象徴としての文庫や新書がまだ通用した時代だった。

 今、電車などでは、若者が実利一辺倒の自己啓発書をカバーもかけずラインマーカーで線を引きつつ読んでいる。つくづく流れは変わった。そもそもかつて書店には「自己啓発書」という棚も存在しなかった。翻って10代の頃、加藤諦三などの人生論にはその趣(おもむき)があり、密かに愛読したが、誰にもそれにつき話したことはなかったからなあ。

 今回、久しぶりに同書を手に取り気づくのが、まず「字が小さい」こと。注釈など蟻が這うような細かさで、老眼の進む筆者には揺れる電車の中などでは到底読めない。しかし、覚悟を決め、机に向かい読書灯のもとでじっくりとひもとくと味わいがある。例えば、小さな活字が次のように語る。

 「思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化されないという『伝統』を、もっとも端的に、むしろ戯画的にあらわしているのは、日本の論争史であろう。ある時代にはなばなしく行われた論争が、共有財産となって、次の時代に受け継がれてゆくということはきわめて稀である」

 つい先日、平成の世が終わるにあたり、いかなる時代だったかと様々に論じられたが、その前の時代につき、かつて「昭和史論争」が繰り広げられたことはついぞ話題にならなかったのに似ていると気づく。

 昔読んだ際にも納得できたのを思い出すのが、「思想のあり方について」の章。著者の講演をもとにまとめたものなので理解がしやすい。日本の社会を孤立したタコツボが並列する状態にたとえ「タコツボ文化」と呼ぶ。近代以降、西洋の文化を性急に移入した我が国では、個々の学問や体制が分野ごとに先進諸国と個別に結びつき、それらを支える思想や文化と切り離されて取り入れられたとしてその弊害を述べる。これ、多くの現代人が自らの狭い興味のみによりSNSで情報を集め「趣味のタコツボ化現象」を呈する今の世に通じる。

 自らの例では、近年、映画やライブ、展示会でも、普段フォローしていない分野のものを会期終了後に知り、「知っていれば…」とほぞを噛むことが多い。せめてカルチャー情報全体を扱う「ぴあ」のようなメディアが復刊し「文化のタコツボ化」を防げればと願うのは筆者だけだろうか。(矢吹博志)

 ※小欄では品切れ、絶版も含めた新書名作の“旧書”をご紹介。気になる書籍は、在庫のある書店や古書店などで“捜索”を。

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