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「海軍御用達」の味わい健在 中国満州にも進出した広島県「千福」の今

★広島県千福(上)

 千福(せんぷく)という酒には思い入れがある。私の祖父は大酒飲みだったのだが、飲む酒は千福一本槍だった。なんでも、戦争で海軍に行き、おぼえた酒が千福だったそうだ。そのため、東京に戻ってきてからも千福を愛飲していた。

 自宅の玄関には、常に千福の一升瓶入り木箱が置いてあり、毎晩おいしそうに飲んでいたという。親戚が集まって飲むときも、きまって千福だったし、私の家に祖父が訪ねて来るときは、母がいつも千福を用意していた。祖父は私がまだ小さい頃に亡くなってしまったので、一緒に飲む機会はなかったのだが…。

 そんな思いから、千福のふるさと広島県呉市へ向かったのは、もう10年近く前のことだ。広島市内から呉へと続く呉線に乗ると、列車は静かな海沿いを、ゆっくりと進む。夕暮れ時で、鏡のような瀬戸内海が、沈む夕陽でキラキラと輝いていた。

 呉港は、戦前には海軍、戦後は海上自衛隊の基地がある軍港だ。今も港へ行くと、潜水艦が浮かんでいるのを見ることができる。呉の町も軍と共に栄え、精密機器や造船など、多くの産業を生んだ。千福も例外ではなく、戦前・戦中は海軍御用達の酒だった。だから祖父が海軍で覚えた酒が、千福だったというわけだ。

 千福は、明治35(1902)年に清酒醸造を始め、海軍購買部への納入をきっかけに、日本の全海軍区に販路が広がった。さらに「積載した酒が腐らず、変味なし」という証明書をもらえたことにより、各艦、部隊への納入が増えていった。昭和8年には中国満州にも進出し、昭和16年には日本一の製造量を誇ったという。

 千福には5つの蔵があったが、平成13年に起きた安芸灘を震源とする地震で、3つの蔵が被害を受けたのをきっかけに、2つの蔵に統合した。ひとつは同年に新築した呉宝庫(ごほうぐら)で、主に特定名称酒をつくっている。もうひとつは昭和63年に新築した吾妻庫(あづまぐら)で、千福の80%の製品を醸造している。2つの蔵には別々に杜氏がいて、お互い腕を競い合っているのだが、2人とも、毎年全国清酒鑑評会で金賞を受賞する実力者だ。

 ■江口まゆみ 酔っぱライター。世界中の知られざる地酒を飲み歩き、日本でも日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウイスキーのつくり手を訪ねる旅を続ける。近著は『ビジネスパーソンのための一目おかれる酒選び』(平凡社刊)。

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