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【秘録 今明かす「あの時」】「戦後最大の経済事件」イトマン事件の舞台裏 入り口は情報提供… 住銀のドン「連中は甘い汁を吸い尽くす」

★イトマン事件「火付け役」が語る舞台裏(2) 

 バブル期の1988年、日本経済新聞経済部記者の大塚将司氏は、住友銀行部長の國重惇史氏から取引先の中堅商社イトマンの債務問題について情報提供を受ける。背後には闇の勢力もちらつく。これが「戦後最大の経済事件」への入り口だった。(肩書は当時)

 90年2月2日時点で分かったのは(1)イトマンが無謀な不動産投資に狂奔している(2)“闇の勢力”の掌中に嵌(はま)った気配が濃厚だ-の2点だけだった。いずれ経営危機に陥り、最後は刑事事件に発展するとの予感はあったが、投資の実態はもちろん、住銀がどう対処するのかもわからなかった。

 担当でもない國重氏は全体像を把握できる立場ではなかった。当面は行内で断片情報を入手したり、周辺のディープスロートから情報を集めたりすることになった。私の方はイトマンが使っていた地上げ屋についてまとめた興信所の調査報告書を集める一方、住銀のドン、磯田一郎会長の意向を探る役割分担を敷いた。

 磯田氏は経団連副会長でもあり、財界記者の私には好都合だった。当時、斎藤英四郎会長が三選されるのか、平岩外四副会長に禅譲するのかの山場で、そのついでに取り上げる感じで取材することができた。

 磯田会長の自宅を夜回りしたのは2月23日。顔色を見るのが主眼だった。最初、経団連人事を問うと、即座に「三選で決まり」と断言。その後も副会長人事などの情報を披瀝(ひれき)し、機嫌よく話していたが、「平和相互の合併で活躍した河村良彦(社長)さんのイトマンですけど、借金がかなり増え、粉飾の噂も出ている」と話題を変えると、少し顔色が変わったように見えた。だが、それは一瞬で、すぐに笑顔で「河村君がイトマンに行って10年以上。10年も粉飾がばれないことはない」と受け流した。重大な事態と認識しているとは思えなかった。

 2回目は3月20日。前日夜に國重氏から住銀内で重大な動きがあったと知らされ、「明日、磯田会長と会ってくれ」と頼まれた。21日から大阪勤務の予定だったからだ。

 20日には日銀が三重野康総裁就任3カ月で2回目となる利上げが発表になった。借入金の多いイトマンにとって打撃になるは確実で、経営問題を直截(ちょくさい)に詰めることにした。私は「イトマンを放置すれば大変なことになる」と切り込んだ。身を乗り出した磯田氏は「今日はそれでかかりきりだった」と、22日に巽外夫頭取が河村社長を呼んで事情聴取をすると明かした。

 磯田氏が気にしていたのは借金急増よりも、河村社長が、山口組幹部と親しい協和綜合開発の伊藤寿永光氏をイトマンに入社させ、企画監理本部長に据えたことだった。「得体の知れない人物をそんなふうに扱えば内部告発の動きが出てもね」とつぶやいた。それが深刻さを如実に物語っていたが、「自分が動けばなんとかなる」と自信も垣間見えた。

 そして、3回目の3月29日。20日とは打って変わって、磯田会長は強張った表情、虚ろな眼差しで「大阪にいたので聞いていない。まだ、赤(字)ではないだろう。でも、いずれ赤になる」と切り出し、問わず語りに話した。

 「巽君は(河村社長らと)会った。おとなしくなってしまった。そりゃ、命が惜しい。連中は刑務所に入るのが勲章だ。最後は俺がやる。その度胸はある」「河村社長が伊藤に抑えられて身動き出来ないのか、どうか。河村が伊藤を副社長にするなど、素っ頓狂なことをやらんでくれればいいが…」「連中は甘い汁を吸い尽くす。1000億円くらいやれば、縁を切るだろうが、それと金繰りの見合いだ」

 磯田会長は憔悴(しょうすい)しているようにすら映った。(大塚将司)

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