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【名城と女】岐阜城と織田信長の正室濃姫 刀忍ばせ「うつけ者」に嫁ぐ

ニュースカテゴリ:政治・社会

【名城と女】岐阜城と織田信長の正室濃姫 刀忍ばせ「うつけ者」に嫁ぐ

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岐阜城天守  「美濃(みの)の蝮(まむし)」の異名を持ち、下克上で美濃国(岐阜県)を乗っ取った斎藤道三(どうさん)の三女として生まれたのが帰蝶(きちょう)である。

 天文16(1547)年9月、織田信長の父、信秀(のぶひで)が稲葉山(いなばやま)城(岐阜市)を攻めると、道三は逆に、籠城戦で織田軍を壊滅寸前にまで追い込む。ところが、道三は信秀と和睦し、翌年、娘の帰蝶を信秀の嫡子、信長に嫁がせた。以後、美濃の姫ということで、濃(のう)姫と呼ばれる。

 この結婚に熱心だったのが、信長の守役(もりやく)、平手政秀(ひらて・まさひで)だ。若いときの信長は「うつけ者」という評判で、家督を継がせるためには、どうしても道三の後ろ盾を必要としていた。

 濃姫は嫁ぐ際、道三から「信長はうつけ者と評判である。まことうつけ者であったならば、この刀で刺し殺せ」といわれた。これに対し、濃姫は「承知しました。ですがこの刀、父上を刺す刀になるやもしれませぬ」と答えたというエピソードが残っている。

 2人の結婚後、信長が評判どおりの「うつけ者」かどうかを自分の目で確かめるため、道三は信長と対面する機会をうかがっていた。

 正徳寺(愛知県一宮市)で会見した際、信長は多数の鉄砲を護衛に装備させ、正装で訪れた。道三は信長を見込むと同時に、家臣に対し、「我が子たちはあのうつけ(信長)の門前に馬をつなぐようになる」と述べたと『信長公記(しんちょうこうき)』にある。

 司馬遼太郎の小説『国盗り物語』や、津本陽の小説『下天は夢か』にも濃姫は登場するが、この会見以降、歴史上の表舞台に一切登場しない。

 弘治2(1556)年、道三は息子の義龍(よしたつ)に殺される寸前、美濃国を信長に譲るとの遺言を書いて渡していた。信長はこの遺言状を理由に、美濃国を攻め、義龍の子、龍興(たつおき)を討ち破る。

 信長は稲葉山城に入城すると、山上に3層天守、山麓(さんろく)には壮大な4階建ての居館(きょかん)を構えた。周の文王が「岐山(きざん)より興って天下を平定した」という故事にならい、町の名を岐阜に改め、城の名も岐阜城とした。地名を変えるという政策を行ったのは、日本史上で信長が最初である。 =次回は宇都宮城と加納殿

 【所在地】岐阜県岐阜市金崋山天守閣18
 【交通アクセス】JR東海道本線「岐阜駅」、名鉄名古屋本線「名鉄岐阜駅」からバスで約15分「岐阜公園・歴史博物館」下車、徒歩約3分で「金崋山ロープウエー山麓駅」、「山麓駅」から「金崋山ロープウエー山頂駅」までロープウエーで約3分、「山頂駅」から天守まで徒歩約8分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

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