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さようなら野村克也さん リビングでヤクルトのユニホーム姿…穏やかな表情で眠っていた 密着取材25年、夕刊フジ塚沢記者が最後の対面 (1/2ページ)

 南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王に輝き、ヤクルトを3度の日本一に導いた野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全で死去した。84歳だった。南海の捕手兼任監督、ヤクルト、阪神、楽天監督で通算1565勝。球史に残る名選手、名将、名解説者として、球界に多大な功績と人材を残した。密着取材歴は25年を数え、本人公認の“野村派記者”でもある夕刊フジ・塚沢健太郎編集委員(48)がノムさんの最期の姿を公開する。

 ■団野村さんが「そんなに泣いたら監督が悲しみますよ」

 訃報に接し、東京都世田谷区の野村邸に急行した。息子の克則さんのご厚意で、取材で何度かお邪魔したリビングに招き入れられ、ヤクルトのユニホームを着てメガネをかけた野村監督にお線香をあげることができた。

 「なんや、用か?」と目を覚ますことを期待したものの、穏やかな表情で眠ったまま、起き上がることはなかった。

 克則さんが「ちゃんと顔を見ていってあげてください」、団野村さんが「そんなに泣いたら監督が悲しみますよ」と優しく声をかけてくれたが、この機会をいただいたご遺族のみなさんには感謝してもしきれない。

 キャンプインに合わせた9日間の宮崎出張を終え、帰京した矢先。まるで自分の帰りを待っていてくれたような気がした。思えば、サッチー(沙知代夫人)が亡くなったときもそうだった。

 最後に会ったのは1月25日、シダックスのOB会。20日のヤクルトOB会、21日の金田正一さん(享年86)のお別れの会と、6日間で3回も会うことができた。

 ヤクルトOB会では多くの教え子ばかりか、現役時代に目標にしていた中西太さん(86)とも再会。「もうすぐあの世に行きますけど。もう人生も終わりです。

その節はよろしくお願いします。(同世代は)みんな逝ってしまった。もう(自分の)順番。お迎えが来ている」と挨拶したが、みんなに最期のお別れをするための1週間だったのかもしれない。

 金田さんのお別れの会では永遠のライバル、長嶋茂雄さん(83)と控室で握手する場面も。それを見た王貞治さん(79)は「カネさんがみんなを引き合わせてくれたんだね」と感慨深げに見つめていたという。

 その日は報道陣にコメントすることもなく帰ってしまった。「カネさんは100歳まで生きると思っていた」と相当ショック受けていたという。それは端からも感じることができた。

 私は1994年にヤクルト担当になってから、25年来の付き合い。さすがに南海時代は知らないが、59歳以降の野村監督を一番取材してきたと自負している。

 恥ずかしながら、野村監督の夢をよく見るのだが、7日と9日に立て続けに登場。おなかを出して寝ていると親族から聞いていたので、「寒いから気をつけてくださいよ」と電話をしようと思ったが、結局しなかったことが悔やまれる。

 野村監督は夜型人間。電話をしていれば運命が変わったわけでもないだろうが、浴槽で意識を失っていたと聞くと、「真冬の寒い夜中の2時に、風呂に入る84歳がいるかよ!」とツッコミたくもなる。恐らく天国で「やっちゃった」と苦笑しているはずで、痛恨の“配球ミス”といっていい。

 近年のノムさんは車いすに乗ることが多かったが、食欲も旺盛で体調が悪いわけではなかった。15年に心臓を手術し、長期入院。ところがリハビリをちゃんと行わず、医師から「このままだと歩けなくなりますよ」と警告されたのに、面倒くさがりの性格が災いして足腰が弱ってしまった。

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