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サイン盗み問題、日本プロ野球“衝撃”の裏面史 ビジター戦では真っ先にカメラや盗聴器探し…打者の両太ももに器具を装着する伝達法も (1/2ページ)

 現役の監督3人とゼネラルマネジャー1人のクビが飛ぶなど、サイン盗み騒動でオフシーズンの米球界を大きく揺るがしたアストロズが13日(日本時間14日)、フロリダ州でキャンプインを迎え謝罪会見を行った。全米の耳目を集める中、針のむしろの上での始動となるが、日本球界にとっても対岸の火事ではない。1970年代のサイン盗み全盛期を現場取材を通して体感した、夕刊フジ・江尻良文記者(70)が衝撃の内幕を明かして警鐘を鳴らす。

 プロ野球担当記者になりたての1971年頃、日本プロ野球界はサイン盗みの全盛時代だった。

 パ・リーグではビジター球場に行くと、まずは球団職員やコーチ陣がベンチやブルペンに不審なカメラ、盗聴器はないかチェックするのが日常の光景。どこもサイン盗みなどのスパイ野球をやっているから、疑心暗鬼になり真剣に探すのだ。

 こんな信じられない実話がある。巨人はV9の偉業を遂げた川上監督時代、パ・リーグ球団から強打者を獲得したが、その際にこう念押しされたというのだ。

 「あいつは“ノゾキ”があっての3割打者。ノゾキがなければ、2割7分くらいの打者ですよ。それでもいいんですか」

 サイン盗みが日常茶飯事化だったことを物語る裏話だろう。警告された通り、その打者は巨人ではパッとしなかった。

 “ノゾキの3割打者”だけでなく、“ノゾキの本塁打王”までいた。V9ナインの一員だった巨人OBはこう言い切る。

 「パ・リーグだけじゃないですよ。サイン盗みをやっていない球団なんかない。ウチだってやっていましたよ。後楽園球場の外野席でアベックのファンを装って、双眼鏡でやっていました。ただし、ONだけは『教えてくるな。打ちにくくなるから』と断っていましたがね」

 セ・リーグを代表する左腕投手の生々しい証言を聞いたこともある。川崎球場での大洋(現DeNA)戦で、まさかの早いイニングでのKO劇。

 「絶対にサイン盗みをやっとる。そうでなければ、あんなに思い切って踏み込んで、オレのボールを打てるワケがない」

 当時、セ・リーグでサイン盗みの巣窟として、疑惑のやり玉にあげられていたのは広島市民球場だった。まだ電光掲示板がなかった時代。スコアボードのノゾキ穴から、特殊な双眼鏡で捕手のサインを盗んでいたというのだ。他球団の申し入れで実際に立ち入り検査を受けたこともあったが、何も出てこなかった。

 どこでのぞいていたかという話とは別に、サイン盗みの仕事に関わっていたという某球団の職員から、衝撃的な証言を得たことがある。盗んだサインの伝達法だ。

 「打者の太ももの両側に電気が走る器具を付けている。例えば、右側に電気が走ったら変化球、左側なら速球というように決める」

 こういった装置は「メジャーリーグのお古」だという。「メジャーでは当時、サイン盗みはひとつ間違うと頭部死球で野球生命の危機があるということで、取り締まりが強化されて使い道のなくなった装置が入ってきたんですよ」。

 前出の球団職員はこう語り、メジャー流のサイン盗みを輸入したキーパーソンは、故ドン・ブレイザー氏だったと証言した。野村ID野球の礎となった“シンキング・ベースボール”元祖だ。

 カージナルスなど大リーグで実働12年。67年に鶴岡一人監督率いる南海(現ソフトバンク)に入団し、69年に引退後は選手と兼任になった野村克也監督のヘッドコーチに就任した。78年には古葉竹識監督の招きで広島のコーチに。翌79年から阪神で2年間、81年から南海で2年間、それぞれ監督を務めている。

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