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【人生第二幕】“若トラ”を社会人として成長させることが最大の任務

8.31更新

梅本正之さん

★元阪神、「虎風荘」元寮長の梅本正之さん(75)

 歴代の猛虎名選手を生みだした阪神合宿所「虎風荘」(現西宮市鳴尾浜)の鬼寮長として親しまれた。若虎たちの汗と涙、そして歓喜の声とともに寮で過ごした年月は17年。現役選手時代から数えるとタイガース一筋48年となる。今は甲子園そばの自宅で悠々自適だが、寮長を卒業しても阪神を思わない日はただの一日もないそうだ。体力、気力とも現役寮長時代そのままだ。 (聞き手・米沢秀明)

 2003年の星野監督の優勝を見納めに寮長をリタイアしてから8年が過ぎました。すばらしいボーナスをもらったと思っています。はじめに11年間寮長を務めた後、ゴルフ練習場の支配人となり、そのあと「もう一度寮長としてがんばってくれ」と言われたのが61歳のとき。復帰してから6年間務めさせてもらいました。

 生涯を通してタイガースで仕事をさせてもらったのは本当に幸せだったと思います。これだけ一筋にやらせてもらったのは、たぶん私だけではないでしょうか。僭越ではありますが、これは自負を持っているところです。

 甲子園は聖地です。住まいを近くに構えているのもこだわり。女房と2人の生活で、孫は3人。孫も大学生になっているので、もうすぐひ孫が見られるかもしれません。あとは麻雀とゴルフですかね。

 ゴルフは健康増進のために月2回。麻雀は週に2、3回友人宅に集まってやっています。仲間を大事にする意味でも、認知症を防ぐ意味でも麻雀は大事に続けていかなければなりません(笑)。最近は若い人はやらなくなったし、あんまりイメージはよくないかもしれませんが(笑)。メンバーは後藤(次男元阪神監督、87)さんなど5人ぐらいがよく集まりますね。

 麻雀というのは一瞬のジャッジが必要。マンズかピンズか筋で待つか。常に頭を使います。打ち方は初代ミスタータイガースの藤村富美男さん(故人)に鍛えられました。ここは降りる、回し打つ。勝負のさじ加減がすばらしかったです。

 今はわかりませんが、虎風荘にも当時は麻雀卓がありました。阪神大震災のとき、現役時代の真弓監督が引っ越してきた際、全自動卓を差し入れてくれたのです。真弓監督は一言でいったらジェントルマン。監督になっても変わらない。今季終盤に向けて真弓監督の落ち着いた采配の良さがでてきているので、楽しみですよ。

 まあ、いろんな選手がおりましたが、厳しい世界ですから1軍で活躍できるのは一握りです。それでもその後の人生のため、社会人として成長させることが最大の任務と思っておりました。いくらアマ野球で活躍したといっても、入寮してくるときは海のものとも山のものともわからない若者ですから。

 球団が先行投資をした大事な金の卵が、けがをしたり、横道にそれたりしないように目を光らす。仲人をしたり就職を斡旋したり。ファンレターの整理や新聞の切り抜きをポストに入れたりするのもそう。たとえ野球選手として活躍できなくても、審判になって活躍している姿をみるのもうれしいのが寮長です。

 安藤、吉田、三宅、本屋敷、山内、藤井、田淵、掛布、バッキー、カークランド…。活躍する選手はみんな個性がありました。江夏も生意気やった。そりゃあ、酒や女性関係のトラブルもあるから親代わりで乗り出すこともありましたよ。ときには怒鳴ったり、鉄拳もやりました。

 中西(清起現2軍投手コーチ)は虎風荘を夜中に抜け出そうとして窓から落ち、顔面血だらけになったことがあります。マスコミにわからないように病院に連れていきましたねえ。うまくいきましたよ。

 爆発的な人気で一番気をつかったのは新庄です。女性ファンの人垣で、甲子園から隣接した虎風荘までも歩いて来ることができない。一日段ボール1個のファンレターが来るからこれも放っておけない。でも選手はモテなきゃ駄目だから、いろいろ対応策を練ったものです。

 かと思えば、井川のような純朴なタイプもいた。金を使わない、外食しない、納豆食べない。腰痛持ちでずいぶん心配しましたが、エースになって大リーグに行くまでになったからね。

 どこの親御さんも息子を心配する気持ちに差はありません。健康管理には最大限の配慮をしていたので虎風荘の食事はおいしかったはずですよ。藤川(球児)も最初はひ弱だったけど今は見違えるようです。

 選手もそうですが健康が一番の財産。今でも私は深夜の散歩1時間はかかしません。だらだら歩くのはいけません。いつも背筋を伸ばして早足で歩く。だから今でもどこも悪いところはありませんよ。

 いつも携帯ラジオとイヤホンは身につけていて、阪神戦は欠かさず聴いていますね。今でも気持ちはタイガースの一員ですから。

 ■うめもと・まさゆき 1936年8月10日生まれ。和歌山県津木村(広川町)出身。耐久高時代から速球右腕投手としてならし、55年大阪タイガース入団。先発投手として活躍し、57年に4勝を挙げた。62年野手転向、63年現役引退。現役通算投手成績は6勝10敗。打者成績45打数6安打、打率・133。64年〜83年まで2軍の育成、トレーニングコーチ、スコアラーを歴任。84年から虎風荘寮長(89−95年2軍育成コーチ兼任)。95年定年退職し阪神園芸勤務のあと、98年虎風荘寮長に復帰。2003年まで務めた。ノックの名人、鬼軍曹と呼ばれた。

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