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朽ち果てたゼロ戦が物語る戦いのすさまじさ 「ペリリュー島慰霊祭」 (1/2ページ)

 太平洋上のミクロネシア地域に存在し、300以上もの島々で構成されるパラオ共和国。透明度の高い海は観光客を魅了する。この島はかつて日本の委任統治領だった。南洋庁が置かれ、多いときで約2万5000人もの日本人が住んでいた。

 第2次世界大戦が始まると、日本の太平洋進出の重要な拠点となった。大戦末期は激戦地となり、1944年9月から約2カ月続いたペリリュー島争奪戦では、日米双方合わせて約4万人が戦った。約1万人いた日本側守備隊は、34人しか生き残らなかった。

 戦後71年を経て、海上自衛隊の輸送艦「しもきた」が、米軍主催の「パシフィック・パートナーシップ16」に参加するため、パラオに入港した。太平洋諸国を回り、医療活動や建設工事、文化交流を行い、各国との協力関係を強化する活動だ。自衛隊は10年から参加しているが、パラオを訪れたのは初めて。

 自衛隊や民間の医療関係者など約260人が、8月5日からパラオで活動を開始した。

 かつて戦艦「武蔵」も錨(いかり)を下ろしたコロール島沖に「しもきた」も停泊した。陸上との行き来にはホーバークラフト型の輸送艇LCACが使われた。地元の人々が「スコージョウ」と呼ぶ、帝国海軍飛行艇用飛行場に上陸した。当時から変わらないコンクリート製のスロープをLCACがあがっていく。

 市内では自衛官や民間の医師が、米・英軍らとともに診療所を開設した。陸自施設科隊員は、パラオ高校の屋根を塗装した。常にパラオ国民の笑顔があった。

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