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「中世以来」イタリア中部地震の警告 直下型は長い時を置いて起きる場合も (1/2ページ)

 先週の半ばに起きたイタリア中部の地震は約300人の人命を奪った。しかし、まだがれきに埋もれている犠牲者は多いと思われている。中世の美しい街がいくつも消えてしまった。

 震源は首都ローマの北東100キロあまりのところで、マグニチュード(M)は6・2。震源はごく浅い直下型地震だった。

 一般には地震が少ないヨーロッパだが、イタリアやギリシャなど南東部だけは別だ。これはアフリカプレートとユーラシアプレートが押し合っているために、地下に地震のエネルギーがたまるせいだ。

 げんに7年前の2009年には今回の地震から50キロ南東に離れたラクイラで、やはり直下型地震(M6・3)が起きて309人の犠牲者を生んだことがある。

 このラクイラ地震の前には前震があり、騒ぎになっていた。来るべき大地震を否定した学者たちが「地震予知」裁判にかかった地震である。だが、今回は不意打ちだった。

 今回の地震で大きな被害の出たいくつかの町はイタリアの脊梁山脈の山間にあり、中世以来の石造りの建物が残っているので観光客も多く集まるところだった。町には、この建物はいつ建てられたというプレートが誇らしげに掲げてあった。

 地震で崩壊してしまった建物は、骨のない石積みのもので、地震後は石ころの山になってしまって、元の家の形をとどめていない。これでは、鉄筋コンクリートや木造家屋のように、地震で閉じ込められても生存できる空間がまったくない。地震後に救出された人数が少ないことがそれを物語っている。

 大地震で歴史的な建物や遺跡が破壊されたことは、今回のイタリア中部の地震には限らない。

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